2019-12-01から1ヶ月間の記事一覧
どっちだっていいことってたくさんあって。結果にいたる、過程をどう経過するか、みたいなもので。 毎日を大切に、とか、丁寧に、とか言ったって、何をどう、そうするのか、ってところは意外と思い込んでるところがあるのかもしれなくて。 たとえばわたしは…
はがれ落ちるように不要になった自分の一部が自分から出ていくそんな瞬間のざわつきには意味をつけなくていいからね
勝つことじゃない、負けたくないとかでもない、でも、それは違う、こうありたい、っていうのがはっきりしているということ・・・ならば それを伝えることが知らずに誰かを傷つけたりすることもあるとわかっていても遠慮はいらない。
含みをもたせるとブレるのは当たり前の感じじゃないか。ストレートに発信したことはそれほど痛みを発しない。そしてそれは生じたときすぐに発信しないと変わってゆく。 ただそれは受け取る側とのやりとりだから発信の加減と受診の加減もそのときのものでなけ…
軽々と、そうできるからやってくるのであるそのときは重荷に感じたとしても過ぎてしまえば軽々だったでしょう? その道で出会ったみんなを乗せて。
意図せずついやってしまった過ちは過去のつまづきや戸惑いを思い出させるもの。出せたなら大丈夫。誰もが許してくれる。そして誰よりも自分を許す機会となる。
やってくることはみ〜〜んなわたしへのおくりもの。そういう目でみてごらん!
どれだけのひとが今日・明日という日にどれだけのケーキを食べるのだろうどれだけのケーキが余るのだろう
顔は、覆わないからね。5分も歩くと凍れてくる。出先で鏡にうつった顔をみれば頰や鼻先がサンタみたい。久々に、凍れる朝。昨夜は霧がかっていたから、晴れた冷え込む今朝は、樹氷が見事だった。 7時ごろ、朝日が顔を出すとそちらの空は真っ赤、こちらの空は…
アレクサーにビョークをお願いしたらいちばんにヨーガをかけてくれて次がハイパーバラッドだったなんと今の気分にぴったりなんでしょう。やるじゃない、アレクサーよ。たったそれだけ、みたいなことです。 『ヨーガ』を感受する性質はあの頃のわたしにもあっ…
そうそう、こんな感じ。ネタはなんでもいい。暖かいところにあつまってきて誰かのことをみんなで想う。
なんだっていい、起こっていることに耳をすませて。 感じを、つかんで波に乗れ!
スリーセブン、みたいな一瞬の妙、人生の大事な・・・ コーナーポイント、またはゲート、または・・・ そういう感じは突然やってくる今でしょ!
サイコロ、とか、コイン、とか、そういうのつかっちゃってもべつにいいと思う。決めて伝えなくちゃならないのにまったくそれに対する答えがないんだ。心にも頭にも体にも。 って書いたら、あ、本体は知ってるみたい。うずいたね。そんな時はいくら考えたって…
ただ、単純に。これは・・・カラダの反応どおりに。言葉どおりじゃなくても。
みんな血をかよわせて情をつむいで生きているんだ、みんなが。
なんでもいい、とにかく、ここまできて、だから会えた。その接点からなにを伸ばすかはどこに目をむけるか、意識をむけるか、ってところから。
大事なことは雰囲気、みたいなことだった。アクティビティ、とかでなくコレクション、とかでもなく。なんとなくそれがまとっている、そこにただよっている、ソレ。そういうものにとらわれて浮かびやすい春うまれのようなひとたちにとって大事なことは・・・…
後から気づくぐらいに自然な感じであの子は、そう呼んでいた・・・
あなたの生きる世界はあなたから動いてこそ。誰かにやってもらうのではない。こうかなと思ったら、まず自分で。すぐには自分でできないことでも、できる範囲でやろうとする姿勢で。わたしはできない、やらない、というのもはっきり言う。シンプルにそういう…
たくさんつくって同じものをみんなでいただく。それだけでほころぶなにか。ちいさいひとたちに覚えておいて欲しい感覚。 でも、なぜだろう?
届くのは・・・どうつくろっても、言葉をしつらえても、笑顔をよそおっても。 わからないんです。 伝わるのは・・・あなたの心のまま、真心、だけです。
そりゃね、はやく、そんなふうにできたらいいですよねそういうふうにできたときもあったかもしれないそんなにパパッとなれたりしないけれど行ったり来たり、しながら。ひとつひとつ、確かめながら。それでも立ち止まらずにいれば。気がつけばそこにいる。
つながっている誰かのよろこび、自分じゃなくても誰かに届いたみつけたもの、誰かに何かを渡せたこと、そういうものがひろがりそこでの実りの実感が伝わって自分のものだけをみているよりもずっとわたしを豊かにしてくれる。
ホーム。帰ってくるところ。そんなに大げさなものじゃなかった。居場所、っていってもいい。なにかあったら戻ってこれるところ。ちょっと休んで行けるところ。落ち着いて自分でいられるところ。そんな自分をなんとなくみていてくれる誰かがいるところ。それ…
カラダのなにかがそうであるように。だって森に入ったり温泉に浸かると動きだすのは部分じゃなくて、気がつくと部分も整っている。それはきっと学校とか、会社とか、国とかそれこそ森とかもそうじゃない? どこまでもとどくものにひとの『気』も入っていると…
巡りめぐって。あのときのあれが、ちゃんととどく。自分に。
必要なところには。必要な!
太陽がまた地平から顔を出せば光は届く。光が届けばカラダはその呼びかけに反応する。寝たままでいることなど・・・
言い訳は、自分だけを、その場かぎりで、守ろうとするほんの一時的な盾にもならない間、である。魔がさす、のま、と似ている。