誰かが決めた正解のなかで

高校のときの

化学の女の先生と、

担任だったこともあるやっぱり化学の女の先生と、

20代半ばあたりのときの職場の営業の・・

ちょっと優しくて業績的には残念な感じの営業の男の上司とが、

なぜか、出てきた。

 

 

夢の話。

 

 

わたしが、ちょっと、

『ダメ』なことをするのを

控えめに視線でさとすような

ついててくれるような

そんな役柄で。

 

 

わたしは公共の何かの施設みたいなところにいた。

もう閉館の時間で、

立場は利用者だったのか関係者だったのか、

ちょっとよく覚えていない。

 

 

奥のほうに、和室があった。

たしか、戸締り確認しなきゃ、

みたいな感じで行った気がする。

 

 

扉をあけたら、すごいことになっていた。

泥だらけ。

そして押入れの中に、なぜか、

地下茎でつながっているような、

地上部は枯れてるような、

イネ科みたいな、枯れた色の草が、

土に生えていて。

それが荒らされて、

地上部が引っこ抜かれて、

ブチっとちぎれた土だらけの根っこと共に

あたりに散乱している。

 

 

あきらかに、子どもが、

遊んで散らかしました~、

みたいな風で。

 

 

それだけじゃなく、

濡れてた土が握られてかたまった、

みたいな乾いた泥がゴロゴロっと

散らばっていて、ひどい有様。

 

 

これは・・・

このままでは帰れない、

しかし閉館時間、

どうしよう、ってのは一瞬で、

ほうきとちりとりをみつけて

ちょっと戸惑いながら掃き出した。

 

 

戸惑いは、

なんの断りもなくこの時間にそれをやって

良いのだろうか、しかし、

わたしが片づけたい、

みたいな、そんな気持ち。

 

 

隠さなきゃ、では、なかった。

勝手にわたしがやっては良くないよな、だけど・・・

みたいな、そんな感じ。

その、『だけど・・・』の奥の気持ちは、

よくわからない。

夢だから覚えていない、

というより、

リアルでもおこりそうな

自分の胸のうち、

ほんとうのところ、

って感じのもの。

『報告しなければ、

 そして、

 もしかしたら、

 あとは託して帰らねば』

みたいなことをわかりつつ、

そうは動けなかった、

しかし、なぜそうしないのか、

自覚はできていない、

そんな感じか。

 

 

片づけるなか、

人形かぬいぐるみみたいなものだったか、

棚の上みたいなところに並んでいたものにも、

泥がかぶっていたり、

ずり落ちそうになっていたり、

形が崩れていたりした。

 

 

ごめんね、ゆるしてね、って

言いながら立てなおしたりして、

それもちょっと、なんだか、

大事な感覚だった、わたしにとって。

 

 

そして、みつかった。

誰も何も言わなかったけど、

わたしがみえないところで、

化学の先生だった彼女が

『・・・わたしは何も言わないけど』

と言っているのが聞こえた。

ちょっと眼があったら、

気まずそうに眼を伏せた。

わたしがこうしていることは、

してはいけないことで、

気持ちわわかるけど、ダメよね、

みたいな確認を、わたしには言わず、

みんなでしていた、

そういう、感じだった。

 

 

それで、片づけのところは

どうなったのか、覚えていないが、

もう一人の女の先生だった彼女と、

上司だったおじさんと、

(すみません、今はわたしもおばさんです)

帰り道を一緒に歩いていた。

 

 

途中、そのおじさんに、

わたしは・・・自分がやっちゃダメなことだった、

みたいな話を、わたしからしたんだったか?

はっきりそんな話はしていないと思うけれど、

視線を送ったかなにか、きっかけがあって、

おじさんはわたしの肩に手を置いて、

わかるけど、やっちゃいけなかったよな、って、

ちょっとなんていうか、

若干さげすむような、同情のような、

けれどはっきり、あれはダメだよ、

みたいな、そんな眼をして、

別の道のほうに、別れて歩いて行った。

 

 

そのあと、もう一人の、

担任の先生だった彼女とふたりになった直後、

わたしは、自家中毒みたいになって、

苦しくなって、道の端っこにむけて、吐いた。

彼女は終始、何も言わず、影が薄かったが、

確かにずっとそこにいたと思う。

 

 

そのあたりで、起きた。

 

 

 

まず、感じたのは、

自分が大切にしたいこと、

というテーマ。

 

 

そこから、思考が動いていった。

 

 

ここ最近あたためながら検証していることと、

確実につながっている。

答えではない、ヒントのドラマが、

なぜこのメンツだったのか?っていうのは

笑えるところではあったのだけれども、

その3人には、一緒の場所にいた当時、

それぞれの哀愁をなんとなく、

しかしはっきりと、受けとるように感じ、

深くなにかが自分にもしみていった、

そんな風に印象深かった人たちだった、

それは確かだ。

夢のなかで印象的だった仕草や表情は、

そのまま、過去の彼らを思い出しても、

いちばん印象に残っている姿だ。

 

 

道半ばで、または、社会で生きる上で、

または、子育てをするなかで、

『仕方がない』をやっていた、

しかし、内心、どこか、

あきらめ切れていない、

そんな印象を、わたしに残していた人たちだ。

 

 

その後、どうしているのだろう。

 

 

たぶん、おじさん意外は、

今のわたしと当時の歳は、同じぐらいか、

もしかしたら、歳下ぐらいだ。

 

 

『うまくいく』って

どういうことだろう?

 

 

それは、比較で出るこたえではない、

自分の『うまくいく』は。

誰もがきっと、そんな想いは、

言われなくとも持っている。

 

 

ただ、その、

『うまくいく』が

社会で受け入れられるもの、

称賛されるもの、

価値を得られるものなのかというと、

そうではないと思っている。

もしくは、実際に、

わかりやすい失敗、という感じではなく、

価値がないという経験をした、

そこから動かずにいる、

そんな気配が、

覚えている彼らの表情からは

たちのぼってくる。

 

 

今の自分で

「社会に受け入れられる」

と想像することは、

果たして、

ちょっと先の自分のやることに、

当てはまるだろうか?

 

 

たくさんの今の出来事や想いが

交錯するなか、この夢に関して

先がみえないまま綴ってきて、

今日のところはここまでかな、

と出てきたのは、どうも、

そういうことのようだ。

 

 

なんで畳と押入れと土と、

地下茎のある、強そうな、

簡単には引っこ抜いて撲滅できないような

しぶとい草???

なんで??

と、途中から急に

そこが気になってきたなかだけれど、

今日はもうここまで!