同情するなら・・・



「金をくれ!」では、ないが。
トシがばれそうだが。


同性とのつきあいが、もしかして、
ちょっと苦手かもしれなかった自分は、
まさにソレがダメだった。
群れることと同情は似ているかも。



この「同情」に関しては深くて、
10歳で父親が他界したころの記憶とも
つながっている。


「おとうさんがいないからって、
 べつに特別ではないからね」
だったか、正確なセリフは忘れたが、
中学に入学したてのころ、
同級生から言われた。
言われなくても、つねに意識して、
意識しすぎるあまりに
かえっておかしくなっているような自分にね…。
そのセリフは、少なくともその学校にいる間、
ずっと尾を引いたなぁ。
その子が悪い訳ではなく、だけどね。


どんなことが誰に起こっていようとも、
それをどうとらえるかは、人それぞれ全然ちがうのだ。
手にトゲがささった、ぐらいでも、
死にたいぐらいシンドイということだってあれば、
両親がいなくたって全くカワイソウじゃないことだってあるのだ。
そのことは、うんと小さなときから、
きっぱりわかっていたと自覚しているが、
そうではないのかも、、、と、
まわりの大人に思わされることが多かった。
たぶん、ちいさな子達は、みんなわかっていることだ。


父親が死んですぐ、小学校を1週間ばかり休んでいたとき、
同じクラスの子達が、それぞれにいろいろな思いを抱えて
弟も一緒に連れ出し、遊んでくれたことがあった。
そのなかには、密かに、好きだった男の子もいたのだけれど。
直前に、その子から、ほとんど無視されていたんだ。
グループ活動かなんかで誤解されて。
それなのに、父親が死んだからって、それこそ、
10歳のクセに、訳知り顔の憐れみイッパイつくり笑顔みたいの丸出しで、
急に仲良く遊ぼうなんて寄って来てさあ。
ムカムカしたな。がっかりもしたけど。
「なんでこんな男を好きだと思ったりしたんだろう、バカなわたし!」
と思った、はじめてのできごとだったなあ(笑)。


ま、そんなこともあり、書き出せばキリがないが、
とにかく、ふか~く、同情がキライ。


あれ、何の話だったっけ…。
と、わからなくなるぐらい、ムキになってしまうぐらい、キライ。


そうだ、けっこう、「さっぱりしているね」と
サッパリ派の同性とは仲良くなることが多いが、
自分は決して、さっぱりはしていない。と、思う。


なのに何故そういう人が寄ってくるかと言えば、
たとえば失恋の話をされても、
決して同情しないからかも、と思ったんだ。
「それはヤツが悪いよ!」とか、
彼の悪口に同意をうったりもしない。


「まあ、飲みなよ」とか、
好きな食べ物をつくって出したりとか、
夜中に海岸を走ったりとか(笑)。
そういうふうにつきあう、というか、
自分も一緒にそのイベントを楽しむことは、
ナゼかとても好きだったからなぁ。
目の前で数回破局していた大学時代の悪友に
ハッキリ言われて気づいたんだけど。
「bbiyori は、そうだよね~、とか安易に言わなくて、
 ちょっとぐらい言えよ、と思うけど(笑)
 だから安心してぶちまけられるよ。」
とかなんとか、そんな感じだったか。
それで、へえ~~っ、と思ったんだったな。


で、なんで急にそんな話を思いだしたかと言えば。


育児中に必要なのも、決して、同情ではない!
と思うからなのだ。
同情・・・ムシズが走る!
そうだ、とくに、公共の場からの同情なんてサイアク。
その場しのぎはやめてもらいたい。


このことの背景はたくさんあるんだけれど、
つぶやきのみ、忘れないうちにメモ。
だからね、という、つづきの話もあるんだけど。