仲間と共有のありがたさ



友人、親友というよりも。
ママ友、育友なんていう感じとも違う。
仲間としか言いようがない。
産後つながった、同じ育児中の人々のこと。


子達も一緒に、ボランティアの作業や、
専門家の方々との交流をとおして、
気づきの嵐の日々を共にしている。


専門家を交えたとしても、
それぞれも必ず発言や作業をする、
「シェア会」というような集いを
幾度も重ねてきた。


講演会や教室の、1対多数で上下がある感じとも違い、
個別相談とも違う。
そんな場が必要なんだ。


頭優先の世界で機械に囲まれて長年生きて、
自分が思っている以上に
いろいろな型にはまっている。
本を読んだり映画をみたり、
専門家の話を一方的に聴いたり、
そういうことでも気づきはあるが、
しみついたクセのような観念からは
なかなか逃れることができない。
やっぱり、身近な、生身の人間から
丸ごとうけとる感覚の刺激が一番、効く。


何度もそういう場を共にしていると、
共鳴の度合いも、広がってくるんだ。


今日の集いで、たまたま、本題とは少し離れた
脳の神経のつながりの話が出たのだけれど。
神経はつながっていなくて、
神経伝達物質が出てくることでつながるという話。
それと同じように、どんどんつながりは強くなる。


親同士だけではなく、
その共鳴はもちろん、子達にもひろがる。
我が家のボウズも3歳をすぎ、
口も達者になってきて、はっきりそう感じる。
子達はむしろ、親達より、もっと敏感に、
全身で感じとっているんだ。
話をしている内容だって、言葉はわからなくとも、
イメージはつかんでいるはずだ。
それは、子達自身の今後の力にもなるに違いない。


核家族で、隣近所とのつきあいも薄い街暮らし、
育児中の今はとくに、仲間の存在が何よりありがたい。
ヒトは、ひとりで生きるようにはできていない。
核家族でも足りない。
共鳴する、つながる能力は、誰でも、
いろいろな手段を、もともと持っている。


同じ乳幼児連れの仲間との集いで、
その、つながる能力が
どんどん磨かれているな、と
今日は確信したよ。