やっぱり地場



あわやパニック!?の昨日。


「業務命令だから仕方ないんだよね~」
「ま、こういう現場も慣れっこだけどね~」
そんなセリフが浮いて出そうな、
エネルギーが斜め後ろ向きに流れ落ちていそうな、
マスクをつけた報道部隊をみかけたんだ。民放の。


大企業があるわけでも、
何か特別な施設があるわけでもない
平日真っ昼間の街角に、
あきらかに違和感のある集団で。
ざわざわした波がそこから広がっている感じだった。


豚インフルエンザ騒ぎの件に違いなかった。


みかけてから自分も、ざわざわ…。
なんだか気分も悪くなって早々に引きあげ、
その「ざわざわ」の質のことを考えながら
自宅の最寄駅まで戻ったんだ。


ボウズが2ヶ月の頃から通っている地場野菜屋さんを訪ね、
「ざわざわ」の金縛りは少しほどけた。
他のお客さんに「この子はお得意様だからね~」と説明する
お店のおじさんとの触れ合いのおかげ。



もし豚インフルエンザで、事態が急変したならば。
心配なのは…自分達がインフルエンザにかかることではなく、
子との日常生活のことや、社会がどうなってしまうのか、ということ。


たまたま、米の在庫がすっかり切れていたり、
そのほかの食料もとぼしい状態だったから、
まずまっさきに考えたのが食材の調達のこと。
パンデミック」でも、この地場野菜屋さんになら
買物に来れるぞ、と思った。
いつもよりお客さんが殺到したりしても、だ。
これまでのつながりがあるというのは
なんだか安心だなあ、と。
その気分だけで、野菜が手に入らなかったとしても
行きたいところだ。


そこから、自分で食べ物を調達できない弱さ、
それなのに近所でつながっていないことが多い今の都会の生活、
お客さんが来なければ成立たない商売のこと、などなど…
思いがめぐるにつけ、なんだか、自分の平和ボケっぷりも感じたんだ。
報道隊に嫌悪感すら感じたけれど、自分だって同じようなものじゃないか、と。



子の育ちと自分の許容量からして、
住んでいる地域とのつながりの度合いを
もっと見つめたほうが良さそうだぞ、と思った。


引越すかもしれないし、つぎに引越した場所だって
定住の地になるかどうかもわからない、
いつまでもそこが決まらないからなぁ…というのが、
何かを決めるときにいつも引っかかることだった。


いつどうなるかは、誰でも、どんな状況でも、わからない。
今いるところで腰を落ち着けてすごすということは、
あした引越すとしても可能なはずだ。


地とつながって落ち着いているからこそ、
またそこから移動もできるエネルギーが満ちてくるんだ。
そのことへの感謝が足りない傲慢さがあったかもなぁ、と思った、
このパニック未遂の出来事だった。