地場でできること



区のお祭りで、ライ麦粉と小麦粉に出会う。
本業ではない方々の集まりでつくられた無農薬のもの。
いちばん近い、市民の森の近くの農地で収穫できるのね。
ライ麦はあんまり上手に出来なかったから少ないんだ、
ということだけれども、自分たちのぶんをとりおいても、
お祭りで販売できるぐらいは、できているんだもんね。


育児支援関連ボランティアのお母さん方が
「わたしたちがつくったの、あそこで!(すぐ近くの農地)
 もちろん無農薬よ。食べてみて」
とうれしそうに言って試食をくれたのは、サツマイモ。
ふかし芋と焼き芋と、揚げ芋とがあって。
さっぱりとした甘味と粘りすぎない肉質が、
とても好みで美味しかった。
無農薬地場サツマイモの焼き芋は、ほかにも模擬店が出ていたなあ。


そして昨日は、地場野菜屋さんにて、
種子消毒もなしの、完全無農薬天日干米に出会う。
これも、もちろん、近場で収穫されたもの。
1時間ぐらい出かけて行ったイベント先で、
重いから、と買って帰らなかったものが、
徒歩5分もかからない場所でみつかった。
地場ならではの、手頃な価格で。




あと少しで熟しそうなイチョウの並木を歩き、
色がつきはじめた川沿いの植物たちをながめながら、
何度も浮かんできた思いが、またわき上がってくる。


森やら湧き水やらというところまでは、
きっぱり遠足にしないと、なかなか、難しいけれど。
それ以外は、欲しいものが、けっこうすぐにみつかるんだ。


それでも足りないと思っているものごとはなにか。
・・・わかっているんだよね。


あちこちに、狩りのように物事を仕入れにいくたび、
どうしても感じてしまう違和感は何なのか。
それもずっと、よ~くわかっていたんだよね。


答えは自分の中にあるし、
求めている暮らしは、足もとにある。
自分からつなげていけることに、たくさん、出会っている。
そのつながりに気づくことができる自分を、
もっと肯定したらいいんじゃないかねえ。


あとは、目にみえるものと、みえないものとのバランスだ。
自分がもっとも肯定できないのはたぶん、
「目にみえるもの」への “ 過去からの ” 欲求か・・・