まだまだ、くだらないことを覚えているものだ



ボウズの送り迎えの往復回数を勘定して、定期券を購入。
イカカードは一度、ボウズにわたしてなくなったことがあって、
なんとなく、「ピンクのほうがいいや!」と、
ふだんはパスモを使っていた。
JRの定期券を買うのにさすがにパスモではダメで、
あたらしくスイカデポジットまで一緒に支払う。


その500円で、以前、なくしたことを、
詳細までシッカリ思いだしたんだ。
なんで覚えていたかって、
ぜったいに、「もったいない」という思いが、
当時、つよかったからなのだ。
だから、その500円を払う、という行為のときに
芋づる式に思いだされたのだ。
チャージしていた金額はそれほどではなかったはず。


そんなちっぽけな「もったいない」という未練のために
いったい、その時のどれだけのエネルギーを使い、
後々まで細かく覚えているだけ後をひいていたんだろう、
と思ったら、バカバカしくて笑えた。


そういう、ちっぽけなことを、
きっとまだまだ、たくさん忘れられずにいるんだろうな、
ということが、よ~くわかったんだよね。
そんなちっぽけなことをため込んでいるから、
ちっぽけな器がもっともっとちっぽけになるのだ!(笑)


その場でなるべく、感情ごと
スッキリ処理してしまったほうがいいということが、
よ~~くわかったぞ。
覚えていたとしても、「もったいない」がベースなのではなく、
そのときに何か気づいた明るいこと良いことならば、
そのさきにつづいてゆく栄養になる。


そのスイカカードをなくした事件は、たしか
ここにもメモしたような気がするなあ、なんでだっけ、
と思いだしたのに、なぜかが思いだせなかったんだ。
そこで気づいたことがあったから、ここにメモしたはずなのに。
メモまでしておいて、覚えていないのだ!
「もったいない」感覚は覚えているのに~。
むぅ・・・。


どんなふうに自分が物事にとらわれているか、
なんとなくうかがい知れる出来事だった。
イカよ、たびたび、気づきのチャンスをありがとう!(笑)
今度のことは、先につながる感じに覚えていれられるかな~。