急展開に・・・

ああ、自分は、ほんとうに、
受け取るのが苦手だ。
素直に喜ぶことを、
なぜこんなに、
ナナメにさけようとするのか!(笑)


そして、そんなさなかなのに、
なぜ、喜びを味わうことに集中しないで、
べつの用件にふりまわされそうになるのか。


もう、やめようね。
どっちにしたって、明日は、わからない。
大喜びしても、しかめっ面しても、
明日は、また、ただの明日なのだ。


他人のことならば、手放しで喜べるのに。
なにを差し置いても、応援できるのに。
限界をこえそうでも、気力で頑張ろうとするのに。


なぜ、自分のことは・・・


探しものは、なんですか?
望みは、な~に?


もどっておいで。
腹をきめて。




というわけで、ここまでメモして、眠る前に、
今ある状況のすべての恵みに感謝していたら、
なんと、自然にわきでてきたのが
「おかあさん、ありがとう」。
そこから、どんどん、「ありがとう」のワークになり、
あったかくなって寝た。


ボウズの保育で子たちに触れて、数日間だけでも、
たくさんのことを教えてもらった。
そのことを自分の中だけにとどめておくのはもったいない。
起きてから思ったのは、そのことだった。


もう年長の年の子は、家族のことを色々と話す。
遊びの合間に、ぽつぽつと、話すんだ。
子どもは、この社会の経験がないから表現力に限界があるだけで、
ほんとうに繊細に、すべてのことを、丸ごと感じている。
ごまかしたり隠したりすることなんて、できないよ。
「○○は子どもには悪影響だから、いないときに」
みたいなことも、全てお見通しだ。
全身で感じている。
自分ができないことを子にやらせるなんて、
なにか悪影響だと思われるようなことをすることより、
もっとずっと、自分と子の尊厳を傷つけることだ。


他の子に対して、なにか否定的なことを言うときも、
間違いなく、まわりの大人の影響なんだ。
誰かまわりの大人がそう言ったか、
心の中でそう思ったか。
それを、子たちが敏感に察知しているという現れだ。


大人たちは、否定的な見方で物事を限定して押しつけてはダメなのだ。
丸ごと受け入れた上で、自分で立たなければならない。
その姿勢で、ただ、かたわらに、立っていればいいのだ。


もう一度、しっかり思いだそう。
子の言動になにか違和感や不快感を感じたならば、
それは、自分や、子をとりまく環境をうつしている。
大人になった自分ができることは、何なのか。
評価を恐れずに、ただ毎日、今できることを、ていねいに・・・。




さてさて。
ボウズは昨日の晩ゴハンの最中、
おもしろいことを言っていたけれども。
どんな今日になるのかな。