絶妙のタイミング



この期を逃さなかった自分をほめよう。
たまには、そういうことも、自分で自分をほめて持ち上げようではないか!
・・・そんなふうに気分を盛り上げないと、悪いクセで、
「こんなにうまくいきすぎて、なにかとりこぼしがあるのでは?」なんて、
わざわざアラ探しをしてしまいそうなぐらい、順調なんだ。
そう、そんなふうに考えると、意識が、良くない方に向かってしまって、
望まない出来事を自ら引き寄せちゃうんだよね~。
いいのだ。
素直に喜んで次に向かえば(笑)。


なにが、って。
ボウズの慣らし保育が。
入園のタイミングが。



先月に数回、とても濃い体験ができる保育内容のときに母子で参加し、
年末から正月明けまで、ひとつき近く間があいたけれど、
ボウズのなかでは流れがとぎれていなかった。
家で遊ぶときにもずっと、園の仲間や先生の名前が登場していた。
園で体験したことを、何度もなんども、くり返していた。


それでも、疑り深いか~さんは、
すんなり行きそうな様子を、なかなか、
そのまま受け入れることができなかったんだよね。
この年末年始のか~さんの落ち着きのなさは、
はっきりと予定が決まらず状況がみえないことへのモヤモヤではなかった。
順調すぎることに対しての落ち着きのなさのほうが・・・大きかったよ、たぶん。
ははは~。自覚自覚!
その落ち着かない過程のなかで、と~さんとの話も深まったのは、
良かったけどさ・・・。



このタイミングで出会わなければ、まあまず、
選ばなかったであろう園で。
そうだな、1年以上前だったら、見学しても、「は?」だったかも。


年少の学年をとおして、ボウズと一緒に遊ぶなか、
自分が他人に任せたいことがはっきりしてきたところでの出会いだった。
どう慣らして行くかのやりとりも、何度か重ねるうちに、
しっかり思いが届いて、ほんとうに無理のない方法を提案してもらい、
そのまま受け入れてもらえることになったし、
園の現状も、そんな我々にぴったりだったんだ。


か~さん、遊び方は、室内でも、外でも、
いろいろ一緒に楽しめる術をみにつけてきた。
丸ごと遊ぶことが子の育ちを助けることや、
しつけらしいことにもなることを、感じてきた。
学んできた、というより、か~さんも、
丸ごと一緒に、感じてきた。
そういう意味では、そのまま過ごしたとしても、
育児に不安を感じるわけではなかった。


だから、この幼稚園時代に、園に期待することは、
ボウズを中心にみた場合は、我が家の場合、
「親と離れても安心して遊べる時間を持つ」、
「子どもだけの世界にも没頭する」、
そのことが何より一番だったんだ。


そんなの条件以前の当たり前じゃん、なのかもしれないが、
当たり前ではなかったから、ここまでひっぱったんだもんな。


集団に慣れさせる、みたいな観点は、さておいた。
ボウズは、友達がたくさん必要なタイプでもないし、
初対面の子とでも、年上でも年下でも、気が合えばたちまち、
あれこれ工夫して一緒に遊び出すこともみてきていたから、
この、どんどん変わってゆく時代、
友達づくり、という点にも、
あまり重点を置かなくていいだろうと思っていたし。



というわけで、オメデタく育児道を堪能してきた我が家の、
母子分離第1弾、親ばなれ子ばなれ物語が、
我が家なりのまとまりで進行中なのだった。