現実にする



羊毛でボウズの室内ばきをつくった。
いまは遊び道具や、お人形たちのお家になっている実験台を経て、
園でつかえるように、長靴タイプのを。


この作業が、こんなに好きだとは思わなかった。
まとまっている羊毛をちぎって重ね、
石けんをとかしたお湯をかけてまとめ、
あとは様子をみて石けんをたしながら、
こすってシート状にしてゆく。
いろいろな色を、その場の感覚で、
好きなように重ねてゆく。
あるていど計画したほうが良いけれど、
絡みぐらいなんかをみて、
途中で調整しながら仕上げていくんだ。


最後は、靴のかたちにひろげて、
立体的に、また手でこすりながら整える。


型紙なんかも、自分で勝手に、適当にやったので、
ちょっとつながりが悪く、毛も足りなくなって、
後で別につくったシートを前面にぬいつけることにした。


残っている色すべてをつかってまとめたそのシートが、
なんともいえず気に入ってしまってさ。
靴のために切るのが残念になったぐらいだった。
草木染めのシルクの糸でつなげて縫うのも、
靴屋に関するうたをいくつも思いだしてしまって、
だんだん完成する様子に、ウキウキしちゃったよ。



「は?なんで羊の毛なんだ!?
 日本人なら、さきにワラを編め!」
なんて第1印象だった、疑り深い自分が、
まさか羊毛にはまるとは思わなかった、ほんとうに。
なぜはまったかと言えば、
その、試行錯誤する制作過程が、とても向いていたから。
はじめから型紙をきっちり切って、
そのとおりに縫わないと仕上がらないような作業は、
あんまりワクワクできないんだ。
編み物も、長続きしなかった。
これまでのところは。




感じたことを、現実化する。
現実をみて、また感じて、修正する。
自分だけの思い込みではない、
ちいさな、さまざまな生の力がつながって、
かたちになる。
そのかたちは、まとまっているけれども、
その後、また使われることで、
ひろがっていくんだ。
使って行くうちに、また新しい力が、加わるんだ。


そういう感じを、味わえる作業なのかもしれない。
ちょっと大げさに、意味づけて言えば、ね。




か~さんがいても勝手に仲間と遊びだしたボウズと
少し距離をとりながら・・・
まだ実の残るユズや、つぼみのついた梅の木、
木漏れ日をながめ、今を味わえた喜びの感じは、
生命の輝きへの新鮮なあこがれのようだった。
そこから、次へ向かう気持ちが整ったかな。
そんな日を終えたつぶやき。