キーワードは「がまん」



誕生を追体験するセッション後の子の様子といえば、
なんだかちいさなことでもリアクションが大きいということか。
感情表現が、瞬時に、なんのてらいもなく出て来ている感じがする。


「がまん」「ためこむ」、
これを気づかないうちにやるということ、
気づかないうちに、ということがどういうことか。
理性でおさえているのではないんだ。
ほんとうに、それは、カラダのクセのようなものなのだ。


自分だけをみつめていたら、そこがなかなか実感できなかった。
0歳の赤子だって、「気づかないうちに」おさえていることがある。
そういうことがある、と確信できた。


そういう気づきや、自分の生き方のクセなどをみつめること、
それは、自分を肯定することのみならず、
他人にもそれぞれの理由があることを実感する機会にもなる。
まず自分を愛せなくては他人を愛せない、というのは、
そういうふうにも説明できるかもなあ。


セッションも一度だけでは、まだまだ、出てきていないものが
たくさんありそうだと、カラダのうずきからも感じている。
しかし、これ以上たたみかけて急に引きずり出すのではなく、
糸口のつかめた今、もう少し自分自身の棚卸しをしようと思う。
分娩時間の長かった自分にはきっと、そういう方法が合っている。


ギックリ腰をおこしてしまうまで
「ためこんでいる」ことに気づかない自分だけれど、
心がこわれたりするより先に、カラダがストップをかけてくれる。
なんとありがたい、カラダさまなのか!
カラダがサインを出しているときに気づくべきことは、
自分の場合はとくに、自分の気持ちなのだろう。


「ほんとうに感じていることは?」
気持ち、というと、まわりを気にすることまで含まれている感じだから、
やっぱり、「感情」「感覚」をじっくり味わってみることか。


セッション翌日朝、すでに隙間から入り込んで来たような
「不安」のようなもの、なにか落ち着かないざわざわした感じ、
それがどこからくるのか、体験をもとに、整理してみようかな。