ゆっくりしたい

『スタスタ歩くひと』


自分の中のイメージとは全然ちがう姿。
30代前半ぐらいでもらった言葉だった。
深夜残業や徹夜もある仕事をしていた頃か。


ずっと都会育ちで、山の手線にひとりで乗ったのは、
小学生になりたてぐらいの頃じゃないかなあ。
都会の大きな駅や大きな街の混雑の中でも、
とまどわずに、スタスタ歩けていた。
たしかに・・・子どもの頃から、ね。



先週、ボウズを園に預け、ひとり家に戻ったとき、
ひさしぶりに、そりゃあ、スタスタ歩いた。
ちょっと遠い園で、在宅時間は、せいぜい二時間弱。
まだ感覚もつかめていないから、
先へ先へ、ひとつでも早い電車へ、
と、前ばかりみて歩いたんだ。


ものすごく、消耗した。
いつのまにか、子と歩くペースにはまっていたのか。
いや、そうではなく・・・


子と歩くぐらいのほうが、自分には、心地よいのだ。
下に落ちている、ちいさな花びらにも気づくぐらいのほうが。


どんどん先にすすむより、
あちこち動き回るより、
ひとつひとつ、ゆったり味わって、
落ち着いて自分のものにしないと、
すすめないんだ。ほんとうは。


週末はまた、ボウズとふたりで、
何も制約なしで、
気のおもむくままに散歩した。
オナカのあたりが落ち着いて、
気持ちもおだやかなことを確認したよ。



自分がボウズにもらっている贈り物は、
なによりも、
ていねいでゆったりとした暮らしだ。
それが、子どもの頃すっとばしてしまった、
自分の道なんだろうな。