「ちょっとだけ」はダメ



「ちょっとだけ、はナシだよ、
 何がダメなのかわからなくなっちゃうでしょう!」



昨日の気づきにいたるまでには
「オーママ」とボウズの
何気ない会話の中から
いくつかポイントがあったのだけれど。
オーママがボウズとの遊びを中断して、
ひとりでコーヒーを飲もうとしたときのこと。
ボウズが一緒に飲みたがったんだ。
「コーヒー飲みたい!」とほしがる。
オーママは、スプーンの先にちょん、とつけて、飲ませようとした。


でもそれは、「コーヒー」が飲みたいからではないのだ。
家では、「コーヒーはお父さんの、ボウズのコーヒーはこれね」と、
麦茶などを入れて、一緒に飲むことにしている。
「一緒に飲みたい」のだ。


今回も麦茶を入れて、ボウズは大満足しながら、
「にっが~いっ」と何度も言いながら、
ちいさなスプーンでかきまぜて
楽しそうに飲んでいたのだけれど。


飲む前に、オーママとか~さんの、そんなやりとりがあっても、
それで何の問題もなかったんだ。


で、自分は、冒頭の、自分のセリフにハッとした。
いったい、自分のどこからそんなセリフがでてきたのか、と。
「ちょっとだけはダメ」とは、どこかで誰かに聞いた言葉かもしれないが、
「何がダメなのかわからなくなるでしょう」は、
なにか自分の深いところから出て来た感じなんだ。


自分が子供を産んでから、実母と自分の関係を振り返ったとき、
一番苦しくなることと、そのことは、つながっている。



別のとき、何かの話の流れで、「こわい人」という単語が出て、
オーママは、「こわい人」を、「おかあさん?」と言った。
ボウズは、きょとん、としていた。
か~さんも今や、ボウズにシッカリ怒ることもあるが、
「こわい人」だと思われるほど怒っていない。
少なくとも今のところ、か~さんを「こわい人」だと思っていない。


で、自分は。
いつぐらいのころからだったかわからないが、
実母は、「こわい人」だった。
もちろん、それだけではないけれどね。



その「こわい人」が、絶対ではないと知ったときの落胆、とまどいは、
状況はともかく、感情としては、ハッキリ思いだせる。



そしてもうひとつ、
「オーママ、うれしかったあ」の言葉。
ボウズが、公園のトンネルを、ひとりでくぐれたことに対しての言葉。
直接的には、それを聞いて、昨日の
「誰も自分に期待なんかしていない」という言葉が
わいてきたのだった。


それは、ボウズをみた言葉ですらない。
オーママは、自分をみている、と気づいたんだ。


たぶん、ボウズが0歳か、もう少し、1歳ぐらいまでの頃は、
自分には嫉妬のような感情があったと思う。
オーママがボウズを、もう、手放しでかわいがる様子に、
複雑な感情がわきあがってきていたんだ。
「元気なだけでいいのよ」というような言葉には特に、
もうワケのわからないぐらい取り乱しそうになったことも。


そんなわけで、昨日の気づきにいたったのである。
そのうちまた、つづく…、かも。
さっさと手放すのだ~。