ギフトでいっぱい



2日前、またか~さんの用事でオーママに預けたけれど、
か~さんが晴れやかな気持ちで迎えると、
前日とは別人のように、おだやかでニコニコしていた。
昨日は、また雨あめザーザーの1日だったけれど
ボウズはずっとゴキゲンにひとり、はりきって遊んでいた。


おかげで、さっさと片づけたかった諸連絡がすすむ。




抱えていた用事をつぎつぎに処理するような9月のおわりのさいご、
10月にかわって、本題に向かおうかというとき、
その本題にもつうじるような、いくつかのあたたかいお便りが届いた。
素敵な夏休みをともに過ごした忘れがたい人達や
いまの迷いを、そのまま預けてみた人達から。




ずっとちぐはぐしていたオーママより、
「あんたちの食べるような料理をおぼえようかと」。


ボウズが食事どきに癇癪のように泣いたのをみたことがきっかけで、
オーママは、疑問や心配を放つことができたんだよね。
はじめか~さんは、とても残念な気持ちになったけれど、
これまで自分本位になりがちだった態度を、
今度こそはっきり認識して、ひと呼吸おいてから、
自分の姿勢に関してだけ、みじかくやさしく伝えることができた。
オーママとすごすときには、オーママに任せる、
そのことも、腹の底からの本音として伝え、
オーママに対してだけではなく、自分の中の覚悟が決まった。
はじめての育児でやっぱり余裕がなかったこと、
なんだかんだいって、オーママには甘えたかったんだ、
という気持ちも、再確認しながら。


そしてオーママは、もともと、料理も手芸も、とても得意で好きだったはずの人。
ひとりで子ども2人を育てることになって、
バリバリと仕事をする道に入ってから、
それどころじゃなくなったというだけなんだ。
退職して1年、どっと疲れがおしよせていた体調も気持ちも、
すこし落ちついたんだね。
それを待てなくて、ごめんね、と思いつつ、
とてもありがたい気持ちで、料理本や資料をいくつか渡した。
辞めてからもずっと仕事モードで、
やらなければならないことや責任でいっぱいだった頭とカラダ、
ゆるむ助けになるといいなあ。




それぞれの道に、それぞれにむかっている
育児道で知りあった、戦友のようなみなさまがたとは、
いつも短い時間しか自分の話はできないけれど、
ちょっとした気づきをやりとりしたりするだけでも、
自分の気持ちがはっきりする助けをもらえたりする。
なにしろ、子達がほんとうに赤ちゃんだったころから、
ずっと母子の様子を知っているんだもの。
とくにひとりめの子の産後数年の母達といったら、
幼子のように、どんどん変化していくのだ。
なにも話さなくたって、同じ場で活動したり、
ワークショップのような集いに一緒に参加するだけで、
ものすごい刺激を受けるのだ。




そしてそんな活動や、毎日の暮らしを、
見守り、理解し、支えてくれている、
いちばん近くにいる人を忘れてはいけない。
ほんとうに、こんな生活ができるのは、
と~さんの理解のおかげ。
それだけでもじゅうぶんなはずなのに、
すぐ近くにいるからと、
ツーカーで把握してもらえるような錯覚をおこして、
コミュニケーション不足に陥りがち。
と~さんは、ながいあいだ、
おいてけぼりみたいな気分も味わっていたんだよね、きっと。
と~さんが毎日ひとことでも日記をはじめてから4ヶ月か。
単にそれだけがきっかけではなく、すこしずつイロイロがなじんできたとは思うけれど、
その小道具の存在も、なかなか、光っていた。
そして今朝おいてあったメッセージがまた、なかなかに光っていた。
これからの過ごし方への同意と、注意すべきアドバイスがひとつだけ書かれていた。
こんなに理解ある支えをもらって、
感謝以外のことをするなんてとんでもない(笑)。
すくなくとも(!)、いまは、心からそう思うよ。




受け取ればいいだけなのだ。
自分に、受け取ることを、許せばいいだけ。
自分が苦手なのは、そこだったんだ。
そうすれば、すぐ側にもとからあったギフトに
どんどん気づくことができる。
もともと自分が持っていた、自分の中のギフトにも、
気づくことができる。