誰も自分に期待などしていない!



隣駅に住んでいるというのに
長いこと会っていなかった
オーママ(実母)のところにボウズを連れて行き、
ふたりの何気ない会話を聞きながら、
本を読んでいたときだった。


その本とは、





そういえば産後のここには、写真のひとつも入れたことがなかった。
か~さんもどうやら新しい段階の入口みたいね、ボウズよ。
このさい、ここのことも、今関わっている人々に普通につなげようかな。
そんなつぶやきもいれつつ…。


産後わりとすぐのころに出会っていた本、

昨日に聞けば明日が見える

昨日に聞けば明日が見える

をさらに読み解こうか、というときがひと月ぐらい前にようやくやってきて、
関連本を探してみつけたのだった。


バイオグラフィーワーク』について書き出すとまとまらないので省略。
ルドルフ・シュタイナー人智学に基づいた大人のための自己教育の方法のひとつ、
という感じなのだけれども。


それで、いろいろつながって、ふってわいてきた言葉が、
「そうか、誰も自分に期待なんかしていない!」だったのだ。


それは、以前ならば、落胆と共に感じていたことだったかもしれないが、
まったく違って、その先に広がりをもって、おとずれた。


そうはいっても、長いこと、他人や集団やその場の期待に沿うことに
細心の注意を払って生きていたような自分にとって、
すぐに態度をガラリと変えられるようなものではないけれども。
少なくとも、この先につながる、ほそい糸がおりて来た感じ。
急に光りが差し込んだり、というほど甘くもなく、
ほんのちょっと隙間があるように見えた、というぐらいかなあ。


誰も自分に注目なんかしていない。
自分は、笑っちゃうほど、たいしたことのない人間。
・・・最高!!


いまが、呪いの解きどきだあ!
それは間違いない。



ちょうど、おなじくシュタイナー人智学の「四つの気質」というとらえ方が、
これまでになく、すっ、と理解できるようになってきたところ。
自分の気質や家族の気質を基本に、その理解を深めて行くにあたって、
これまでの人生のときどき、どんな気質が表に出ていたか思い出しながら、
バイオグラフィーについても考えていた。


自分はどうも、与えられた役割によって、
それにふわさしい気質を演じる傾向が強かったと思うんだ。
そのことと、「期待に応えようとする」自分が、
本を読みながらつながっていった。


自分が自分でいられる、心地良いペースは、役割は?
何がそれを遠ざけているのか?


たぶん、はじめからわかっていた答えに、近づいて来たね。
それがみえてきたからといって、そう、
急に生きるのが楽になったりするわけではない(笑)。
それも今は、はっきりとわかる。
それでも、そのことを確かめるときなんだろうね。