つながっている感覚に、ただありがたかった



約1ヶ月ぶりの個人整体へ。
連休明けの変化のあと、痛みなど、
とくに困っていることのない状態で、
どんなものかなぁ、と思いながら。


それは、ただただ、
つながることが、ありがたい時間だった。




孤独を感じても、それを怖れる気持ちのなかった幼少期があり、
その後に出て来た集合欲みたいなものにとまどって、
自分の弱さをカナシク思ったものだった。
つながりたくて、みとめてもらいたくて、
なにかイロイロと付け足し、武装することで、
揺らがない自分を持とうと、あれこれもがいた20代があって。
自分の器以上のものは持てないとわかった30代を
育児をしながら、すごしていて。




手をあててもらいながら、
ああ、なんだか説明できないけれど、
こういうふうにつながりたかったんだなぁ、
と思えたんだ。


「気の交流」と、本などではみかけること。
・・・特別なことではないはずのこと。


このカラダで、今生きていられることが、
ありがたいことだなぁ、と感謝の気持ちがわいてきたよ。