ゆだねることと、自分でいるということ



「バランス」というキーワードを、友人を通して
ここのところつづけてもらった。
その言葉から連想が広がるここ数日だ。
いや、数ヶ月ぐらいずっと、かも?
ここにもいつくか書いたような。
読み返さないので忘れているが…。



昨日のつづきから。
集中して個人整体を受けることにしたのは、
もともとは、ギックリ腰で浮いて出た、
過去の尾骨の打撲の影響を手当てしてもらおう、と
思い立って出かけたのがはじまりだった。


はじめの3回ほどは集中して受け、その後、
少なくともしばらくは、1ヶ月に一度ぐらいで
通おうと思っている。


何よりも効くのは、日々の生活の中での心がけや、
自分のカラダと心の状態をみつめるセルフケアの時間だと思っているが、
昨日の体験で、家族でもない、他人の手をかりた気づきの時間を持つことも
とくに育児道中の今、必要だなぁ、とまた改めて感じて。


カウンセリングのような精神的なことと、
整体やマッサージのような身体的なことは、
自分の中にあるものを一度ゆだねて、気づきのときにする、
そのことで自分の治癒力を引きだす、という点で
根は同じことだと、自分はとらえているのだけれども。
どちらが向いているかといえば自分は、
カラダを基本としたアプローチの方が向いているのかもしれない。
感じやすいくせに、言葉にとらわれやすいからな…。


同じ人に定期的にみてもらう、ということに依存しすぎない程度や、
通いつづけられる条件など、自分に合うところがあるというありがたさよ!



自分のことは自分でなんとかしたい、
自分のことは自分が一番よくわかる、
納得して自分のペースで取り組みたい・・・と思うあまりに、
他人にゆだねる、流れに任せる、ということが苦手だった。


そういうふうに偏ったもとは、子供のころ、
自分のペースで動けなかった反動では、とも気づく、
育児道中ではあるのだけれど。


その壁を、その固さを、育児道中の気づきのなかで、
どんどんひっぺがしちゃえ~、という気持ち。


ひと月前の整体では、瞑想する時間を先に持ち、
そこで浮かんできたのが、「自分を大切にすること」という
テーマだった。
そして、さかのぼって昨年、
かるくセラピーの類いに手をだしたとき、
浮かんできたのは、「ゆっくりしたい」だった。


思いだしたあとはスッキリするが、
それでおしまいなのではなく、
その気づきによって何かがはじまる。
そして今やっていることにつながっている。


ここに書くことをつづけていたり、
人と垣根をつくらず交流するようになってきたことで、
友人の言葉から、良いタイミングで
そんなキーワードを思い出したりすることもたびたび。


キーワードをきっかけに振り返ることすら、
これからまた、どこに行くんだろう、と、
この先を楽しみに思うことに
つながるようになってきた。
ありがたい、ありがたい。




流れに任せながら、他人にゆだねながらも、
自分のスペースは保てるということ・・・、
それは、カラダと仲良くなければ成立たない。


他人だけでなく、まわりのすべてと、つながっている。
もともと、つながっている。
そして、わざわざ区別しようとしなくたって、
どうにもこうにも、自分は、在る。
その自分は、カラダとともに、ここに在る。