子の共感力に・・・



カラダの使い方や物事を
マネすることでどんどん覚える1歳の子との生活は
自分を振りかえって考えることの多い日々だ。
2歳目前の今、とくにまた、ハッとすることばかり。


言葉が出始めたころの子をみていて不思議だった。
発声のしかたを教えられたわけでもないのに
こちらの言うことを聞いただけで
同じように話せることが。


言葉だけでなく、表情のマネや仕草のマネも、
みただけで出来るようになっていくんだもの。
あたりまえ、とは思えなかった。
すごい力だと感じ入ってしまうばかり。
この能力があるのは、べつに子どものうちだけじゃない。
いまの自分だって持っているものだ。


全身の感覚で、いろいろな角度からまわりのものごとを吸収し、
無意識下でも分析して
自分のなかにとりいれている。
日々、そうして変化しつづけているんだ。


情報を先に入れ、たまった頭の中の古い知識ばかりに気をとられ、
その感覚を忘れてしまっているだけ。


どんどん、なにかが出来るようになっていく感覚、
進んでいる、変化している、新しくなっていく感覚・・・
子との生活で、それが感じられているときの健康な喜びの味を
うっすらと思いだせるようになった気がする。


たぶん10歳ぐらいまでの、カラダと頭がうまくいっていた頃、
まわりから受けとることと、それを自分の中で処理して表現することの
出入りのバランスが良かったのだ。


素直でいること。感謝すること。
頭で意識するのではなく、カラダで、感覚で、
それが上手になれば・・・。
頭だけで処理して、余計なことに振りまわされなければ。


日々はもっと穏やかに、自分のものになりそうだなあ。
信じることができて、ただ先につづくことだけに集中できそうだ。


感じることは、そのときに集中して。
思考はまた別で。整理して。
つづくことにつながる思考だけでいい。


そうそう、
夢で、というか、寝ているあいだに
体験を整理してるっていうけど、本当かもなと
子の寝言をきいていると感じる。


子は自分をうつす鏡、それもほんとうだ。
ありがたい鏡だ。
子がそばにいてくれるあいだは、
その鏡があるんだ。


子の癇癪も、泣き方も、ご機嫌も、仕草も、
自分や相方のエキスでいっぱいなのだ、まだ今は。


とくに自我もチラホラわかりやすく出てきた最近は、
自分とはまったく別の人間だな、
なんの縁があって、こんなに毎日ベタベタ暮らしているんだろう、
なんて不思議に思うときもある。
それでも、まだまだ、自分が守らなければならない。
まだまだ、一身同体レベルなんだ。
世の中とうまくやる手助けをしてやらなければならない。
ペースをつくってやらないといけない。


なにより、それに集中して取り組むときだ。
少なくとも自分は、そうだ。
それが次につながることだと思う。
気を取られることがまだまだ多すぎる。
フラフラしている場合ではない。
この期を逃すべからず!