ガンバリ屋さんの、まだ、とか、まだまだ、とか


わたしも まだまだ だなぁ

みたいなことに

ガッカリしてやるせなくなったりするのか
伸びしろみつけた! とワクワクするか

と、いったら


歳をとると
どちらかというと、
より

まだまだ
やることあるなぁ♪

なんてよろこべるんじゃないかと。
どうですかね!?(笑)

そういう、
“ 歳をとるとラクになる”
もあるなと気づいてみた



“ 良く ” なろうとして
・・・

自分の考えた “ 良い ” でも
どこかにみつけた “ 良い ” でも

ひとつの切口から
完全な “ 良い ” を
目指そうとしても

しらみつぶしに
アラをなくすように
完全に “ 良く ” なるなんて

イタチごっこ
みたいなね

まあ、
ないだろうな(笑)

その、
良くなろうとする
ってのは

ガンバリ屋さんの
筋書きに
よくみられることで。


絶対の “ 良い ” に
到達しようとすると
それが真剣であればあるほど

できない条件や
矛盾に気づく

ようなもので。



それでも

近づこうとすることなら
できるかもしれない



ひとつの切口で
カベにぶつかっても

工夫したり
見方を変えたり
別の切口をみつけて


っていう、

開発する過程そのものに

価値を見出したり
面白がる視点を持てたら

できないことがあっても
それを愉しめたりする



キリがない
限りがない、ってことが
よろこびになる



やってもやっても
届かない

なのか

ここまで来たから
次はこうだな

なのか。



近こうとする・・・

というのは

自分の身分を
自分の本質に
近づけていく

っていうようなことじゃないか



一生をかけた
自分が主役の

わたしは何かってドラマを

いかに演出して
自分で演ってみて
愉しむか(笑)


それができるようになるのが

歳をとるとラクになる

かもな、と・・・



ガンバリ屋さんってのも
おそらく

一生やめられない

ようなものかと・・・


やめた気になって
休むことはできても

けっきょく
本質がガンバリ屋っぽければ

そのうち


飽きたり
何かごまかしている気になったり

落ちつかない
というか

ガンバリ屋ってのも

誰かがつけた
名前なわけだし

自分でそんな看板は
あんまりつけない気がする、
ガンバリ屋はネ


ま、いろいろ
例えばの話だけれども

とにかく
自分はやめられないのでね


少なくとも

早々にヤリ切って
どうするつもり?

それって
つまらなくない?

みたいな
面白いテーマが
自分の中心にあれば


くじけたりは
しないだろうな

という話。