プレッシャーは誰のため?

なにかは、わからなくとも、
何かを感じているから、
どこか認めているから、
でもそれが説明できなくて
訳が分からなくて
落ち着かないから、
押さえたくなるわけで。


そんなエネルギーを
あてられると、
自分が自分を認められていなければ、
それはそれは
ズカズカと
浸透してきて
しまうけれど。


それは活性剤、
みたいなものかもしれない。


あきらかな悪意なら
スルーしなくては
ならないかもしれないけれど
アク抜きしたら
栄養になるかもしれないし。


だって。
誰もいないわけではないでしょう?
認めてくれているひとだって
たくさんいて、
その人たちだって
説明はできないかもしれないけれど
感じたことを
信頼して応援してくれている。


わからなくたって
感じてくれているひとを
大切にしないでどうするの?
そっちのエネルギーに
気を向けないで
どこをみてるの?


自分が素敵だ、って思うのは、
実は、
自分がダメだ、って思うよりも、
ずっと、怖い。


素敵だって思ってコケる方が
ダメだって思って意外とイケるより
痛いからだ。


期待を裏切ることを
恐れる前に、
期待に応えようとする前に、


まず、受けとって。
期待なんかじゃない、
純粋な、
あなたへの愛を。


受けとろうとしたら、
丸ごとが愛になる、
受けとる、って
両手を広げるだけで、
きっと。