種まき期のひとに触れ、発芽スイッチが入る



物欲では、なかった。
じゃあ、なんだったんだろう。


今は、もう、
心にも体にもまったくない、
あのエネルギー。


収集欲ではなかった。

ときに、
空欄を埋め尽くしたいような
衝動にかられること、
そういった習慣に影響されて
惰性で動くことも、
あったかもしれないが。



それをやりつづけられたことの
根底にあった燃料は、きっと、
ひとに触れたい、
というようなことではなかったか。



たくさんの場、ものに触れ、
観じるのはけっきょく、
ひとだ、ということ。


場の違い、ものの違いは、
それをつくりあげた
ひとによるものだ。


ひとなんだ、
それを、
なんどもなんども、
いろいろな目で、
いろいろな耳で、
いろいろな肌で、
かんじたかった。
嗅ぎたかった。
味わいたかった。



それぞれ違う、
そのことは、
味わい尽くした。


あれやこれや、
という方向に動くための燃料は、
もう残っていない。


燃料は、情熱、気もち、愛。
それぞれに向かう愛とは別の、
もっと落ち着いた何かが、
芽を出しはじめている。