自分がやればいいこと



こうしたらいいのに!
こうだったらいいのに!


それは、
自分がやればいいこと・・・


できるところで。


あなたの、居場所。
あなたの、生き残れる場所。
あなたが、活きる場所。


あなたをずっと
待っているところがある。
待っている人がいる。


みたでしょう。
白鳥も、ときに、村に降りてついばむ。
それはついばまれて良いもの。
決して、その場を荒らしたりはしない。
いっとき、美しく降りたち、
ここにいるよ、って
羽ばたき、さえずるけれど、
気がつけば音もなく飛びさっている。


行こうと思えば、
彼らについていくこともできる。
けれど、他の鳥は、
そんなことはしない。


彼らの姿をみかけ、
飛んできて飛んでゆく様は
わかっているけれど、
だからといって
生き方を変えたりはしない。


白鳥も、そこにずっと
残ったりはしない。


彼らは、自分を知っている。
分を、わきまえている。


その姿は美しい。
その姿に、ひとは、自然をかんじている。


ある行為が、
美しくみえたり、
不快に感じたり、
同じことでも
違うようにとらえられるのは
見るひとの気分だけが
原因でしょうか?


見るひとの思い込みだけが
そうさせるのでしょうか?


あのひとは、美しかった。


似合わなそうなところにいても、
やっぱり、美しかった。


そう、
思い込み、
とも、
言えるかもしれない。


けれど。


ひとは、
もっと、
精巧で繊細で複雑です。


はまるくみあわせのパターンは
無数にあります。


縦軸も横軸も、そして、
もっと高度に性能が発揮されるときには
他の軸もからんできます。


何が合うのかなんて、
それは、ひとつでは
はかれないのです。


言葉は、とても力強い。
ただ、それに含まれるエネルギーには、
たくさんの方向性が内包されています。
焦点を一つにしぼってしまうと、
気がつかなくなることが増えます。




あなたを待っているのは、
あなただけです。


場所でも、他人でも、
ないんです。


あなたのことは、
あなたのなかで、
あなたが、
待っている。


いつまでも、
辛抱強く。


そして、
はじめから、
出逢っているのです。


ずっと、
一緒にいるのです。
もうすでに。


あなたは、
やっているのです。
あなたのことをずっと。
ずっと・・・