運転のクセと人生道を生きるクセ


車の運転をしていると
自分がわかる。

客観的に。

ガンガン運転し始めの頃は
自分の運転の傾向から
自分のクセを思い知ることが
たくさんあった。


そして
慣れてくると
自分のことだけでなく
車で道路を走るという
全体像を
俯瞰でみているような
意識も混ざってきて・・・



普通に道路を走れる、
ってことは
隣の人が
道を外さない、
ってことなんだよなと、
そう考えたら
ゾッとしたんだ。


みんなきれいに
白線の内側を
並行に走ってる

・・・
と、いうのが

たびたび

ふと

不思議で
仕方なくなるんだ


ほんのちょっと
誰かが
道を外れたら

たくさんの人の
運命が狂う


混みあっている道ほど
少しの乱れが
たちまち、あちこちに
波及する



前にもどこかに
書いたような気がするが、
わたしは

グネグネとした山道だとしても
空いている道の方が
好きだった

少し遠回りになっても
そういう道を
選んでいた


慣れていない頃は
あまり人が
通らない道を選ぶ


慣れたとしても
あまり人が
通らない道の方を選ぶ


それは



自分の通っている道を
感じたいからなんだ

目的地に着けば
どうでもいいってことは
ないんだ

いつでも、
そうだった。


どこに行くとしても

行く先のことが
どんなに重要なことだとしても

通っていく道を味わうことも
大切にしたかった


そういうこと。


だから
アタフタと
運転で、車を操ることで
いっぱいになるような
そういう時間を
なるべくつくりたくなかった、
というだけだ


街中でも
味わえるような運転ができるなら
それはそれで良いのだ


混んでいても
自分が
落ち着いて
その場を感じられるなら
それで良いのだ


目的地は設定するけれど。


目的地が
いつの間にか
オマケになるような


その道中は
目的地のことを忘れるような


そんな走り方で
いつもやってきた。


それでも
運転に慣れてきたら


道を外れすぎることはない


標識をみたり
方角や道路番号をみたり

遠くの山の景色から
位置を大まかにつかんだり


そうしながら
ちょこちょこと
軌道修正して


おおきく遅れることもなく
目的地にたどり着くことができる



近くの道で
運転に慣れてから
遠くに出るか


遠くへは行きたいから
慣れていなくても通れる道で
とにかく進んでしまうか



どちらにしても
いずれは
自分の運転の仕方が安定してきて


いつでもどこへでも
行けるようになるのだ

そして
行かない、という選択も
自由に選べるようになるのだ