でもやっぱり、雪は美しく、そして厳しい



まだ早いよ、ってときの雪は
朝、出かける時間に
ツルッツルが待っているんだ


昼間にゆるんだのが凍って
アイスバーン状態になる


まだ早い時期には
除雪も隅々まで届かないから
日陰の細道なんかは
どうしようもなくツルッツル


もうなんでも来い、ってぐらい
慣れたつもりでいても、
いや、慣れたからこそ、
そんなことには火事場力は働かず


またこの、
細心の注意を払って
歩いたり走ったり
しなければならない、
という事態に
ちょっとだけ
腰が重くなる


ほんとうに、
なんでワザワザ
こんなアブナイことを・・・
っていうところを
訪ねる場所によっては
否応無しに
通らねばならない


ただ、その、危なさは、
わかりやすい。
とてもわかりやすいから
あらかじめ恐れたり
腰が重くなったりもできる、
・・・とも、言える


そういう意味では、
そして、
危なさに対応する能力の中でも
どちらかというと
アドベンチャータイプが必要、
っていうところが


こういうところに住めるかどうかの
適性につながってくる


例えば
まわりに誰もいなくて
車を少々、傷つけたりしても構わない、
ってな状況だったら
積極的にスリップしてみたい、
そういう人なら、
そんな好奇心と冒険心を
コントロールできれば
普通の運転よりテクが要るこんな状況を
より楽しめるかもしれない



じゃあ、ってね、

そんなことにエネルギーを
使えるかどうか、
使うのかどうか、
っていう話にしてしまうと


でもそれって
完全に選べるの?
ってツッコミ入る余地も
忘れちゃいけないから

なかなか
割り切れるもんじゃない


ご縁を楽しむ能力は結構だけれど

やってくるものを受けたり受け流したりするのとか
自分から狙いを定めて向かっていくのとか
そういうタイミングの、
自分ならではの流れとか
そもそもの嗜好とか
持っているものとかの兼合い、

そこんとこが

今の正直とか志とかと
どのぐらい寄りそっているのか、

ってことは

時々、思い出すことに
なっているのではないかいな

ってのが、

腰が重くなったり・・・
っていう、
ことなのかもしれない。


そして、それに気づいたからといって
何かわかりやすい答えが
すぐにみつかるようなものでもなく


そういうことの繰り返しが
人の道、人生なんだろうな、
というような、
季節のくりかえしのような、
この・・・


まあ、少なくとも
そういう風に
突き放して
状況を離れてみるような目も
どこかに持っていながら
足はココにつけて、と。



どんなに心構えをつくって
どんなに先を見通したつもりでも、
明日はまた、どうなるかわからない。
それを何度知っても道は続く、
ってなわけでして。