自分より、本質



バカだっておもわれても
間違ってる、っておもわれても、
それで評価が下がりそうだったとしても、
守りたいもの、
ほんとうは、そういうもの、
誰だって持っている。


そういうものは、
ず~~っとずっと、
ずっと持ちつづけているから
当たり前すぎて
わざわざ別枠で認識せず、
まさか持ってるとは
意識できていなかったりもする。


評価を気にする感情が働くと
自分が持っているソレを
ますます忘れてしまう。
証明しなくちゃ、と
ついつい一生懸命になって
自分が何を守ろうとしていたのかは、
どこかに行ってしまうんだ。


でも、必ず、みつかる。


人前でダメ出しされて
つい、ハッとしたりしても
なんだか気持ちが良いこと。
自分としては
それをした方が
落ち着くようなこと。


そこでそれが否定されるのは
なぜなのか、ということも
ふりかえれば、ちゃんと
冷静に納得することもできて、
でも、それでも
自分には、それをするよりほか
なかったんだ、と
そちらも納得できるようなこと。


きっと、大丈夫。
それを大事にしていい。
というか、
それを大事にしない
あなたなど
あなたが
みちゃいられない。



オモテのカッコと
シンのカッコ、
カッコをつけるのは
オモテでしょ。
だからいいんだ、
カッコなんか
評価されなくても。
それでもあなたは
そこに居続けられる。
逆に、カッコが評価されたら
居づらくなるかもしれない。


きっと、そうなんだ。
気がつくのは、シン。
とまどうのは、自分。
だから、とまどいもお知らせ。


でも、やめなくていいんだよ。
出て行け、って言われないなら、
やめなくていいんだ。


そこに居続けて、
とまどいをほどいたら、
どうしてそこにいたのか
シンがみつかるよ。