求められているところ、手が伸びているところに入口をつくる



わかりにくくて、届きにくいところにいて
ただ待っているだけでは、
ただ祈っているだけでは、
そこまで来る人はほんのわずかか、
誰も来ないかもしれない。


それでも、そこに居続ける、
ということを選んでもいい。
居心地が良いのならば。
そこに居続けることに
自ら能動的でいられ、
意図を持ち続けられるならば。
そこにしかいられない、と
心身ともにかんじるのであれば。


ただ、
誰かがそこまでやってくる方法は、
他にもいくらでもあるはずだ。



もし、勝手に誰かを運んできたところで、
その後、その場所が
居心地のいい場所であり続けることは
難しいだろう。


その場所を居心地の良い状態に保つ、
または、より居心地の良いようはたらきかける、
そういう動きがおこるためには
意志が必要だ。



ならば、どうするか。


すでに人がたくさん集まっているところに
その場所までの道しるべを示したり
道そのものをつなげておいて
それに興味を示した人には、
ときに、助言をしたり
道具や技を伝えたり
時間を与えたり
隣を一緒に歩いたり

そういうことを
自分も一緒に楽しみながら
あの場所で集うことを
忘れないでいられたら
いいかもしれない。


道そのものを
自分も知らないけれど
行きたい場所があると
わかっているのだったら

行き方を一緒に探す
同志をみつけてみたり
知っている人を探してみたり
ヒントになる何かを探してみたり
道すらつくってしまったり

そういうふうに
自ら動いてしまえば
いいかもしれない。


なかなか動けなかったり
どうしていいかわからなかったら、
行きたい場所のことを
誰かに伝えてみることなら
できるかもしれない。



そういう、いろいろのなかに、
好きなことを通してできることが、
きっと、いくつかは
みつかるんじゃないかな。


いつもやっていることを、
少しずつ、
行きたい場所につなげていくことだって、
できるんじゃないかな。



行きたい場所がなかったら、
誰かの行きたい場所のこと、
いろいろと聞いてみるのもいい。



どっちにしたって。
わたしたちは、
誰かの行きたい場所の
影響を受けている。


行きたい場所、
影響を受けている場所のこと、
知っていますか?