そういうふうにできている



とあるプレゼン資料をつくっていた。
わたしが発表するのではない資料を。


発表当日の進行役の人から頼まれて
一枚追加することになった。


ちょびっとだけ

なんだか
動かされている感で

それをわたしが?

ほんの一瞬
???が
心に浮かぶような

そんな内容の一枚だった。


それで
わたしひとりで
つくるのではなく

発表者と一緒に
画面をみながら
まとめることにした。

発表者自身に関わる
ことだった、
というのもあって。


すると
その前につくっていた
どのスライドのコメントよりも
いま一番言いたいことが
ぴたっと現れてきたんだ。


発表者と一緒に

ああ
他のプレゼンテーターにはない

わたしたちの持ってる

今いちばん
参加者とわかちあいたいことってのは

けっきょく
コレじゃないかね?

というのが、
出てきた。


そして少し時間をおいて
見直してみると

進行役の人が

体験者から
そういうことを
言ってもらいたい

というような

あ、だから
これ追加してもらいたかったんだ

というような

まあるくおさまる
発表内容に仕上がっていた。


動かされている感



関わる人たちや場の思惑を
くみとっているからこそ

というところも
あるのではないか。


それって、そう、
わたしが

もっとも得意とする
ところではないかいな。


そしてそれはけっきょく
知らず知らず
熟成させてきた
自分の体験から

実に成る元の
何がしかの要素を

外からやってくるものと
反応させて

いま扱いやすい形で

あらためて産みだすことに
他ならない。


おさまるところに
おさまった感。。

で、ほっとする、
というより
おかしかった。


さんざん
ジタバタまわりくどく
抵抗したり逃げたりしていても

まあ、歳を重ねると
いつしかこんなふうに

自分という荷物を
引き受けたりする

というものかいのぅ。

そう、
若い頃に苦しかったのは

まさにど真ん中の
その部分に
思いっきり
抵抗していたから

なんだな、きっと。


・・・
ってのを
また別の角度から
わかりやす~く

さとされたような
出来事だった。


だからね、
大丈夫なんだよ(笑)