うつくしいもの



はじめての子とはいえ、3歳もすぎると、
かなり距離を置いてみることができるようになり、
子の言動のなかに、「個」の範囲にとどまらないものを、
みせてもらっていることに気づくことも増える。


赤子のころに、人は、もっとも、
観念のしばりから離れたところにいて、
みつめるだけで自分が洗われるような気持ちになるものだが、
ひとりめの自分の子にたいしては、
特別な自分の思いをとおしてしまうもの。


すべての命に対する畏敬の念、
世界に対する畏敬の念、
というような感覚を意識することができていたか、
あんまり覚えがないんだ。
きっと無意識で、そういう感じを浴びさせてもらって、
自分の意識がひろがる瞑想みたいな状態を
プレゼントしてもらっていたとは思うのだけれど。



さいきんのボウズが、とくにまた、
人として、自分の中には全然ないもの、
決して教え込んだことではないものを、
どんどん発揮してくるなか、
そのさきにひろがりを感じることが多いんだ。


子たちだけでなく、誰もがもっている、
うつくしいもの・・・
ボウズだけでなく、他の子にたいしても、
そういうものを感じてしまって、
つい、みつめてしまうんだ。
忘れられない表情も、多いよ。