「自由」と「開いている」ことの考察メモ


「足るを知る」心で、
必要充分なものや場を前にすると、
それぞれの人なりの、
生き生きと伸びやかな生命力を発揮できる。
そうして成長し、変化する。
変化したら必要なものが変わってきて、
不要なものを整理し、新しく必要なものを用意すると、
またつぎの成長と変化が待っている。


それぞれのやり方で変化しつづけられることこそ、
制限がない・・・「自由」ということではないかな。


変化することは、まわりからのいろいろな刺激に対して
反応しておこること。
だから、自分だけでなく、他人も、物も、環境も必要。
反応するべく、間口をひろげておくことが必要。


そのときどきで、自分にとって不要なものとは
上手に距離をとりながら、
必要なことと自分を反応させていく。
その反応の結果でてくるものは、
当然、自分だけでなく、
自分の周囲にもひろがってゆく。
ひろげてゆかないと、成長による拡大で
自分という入れ物が窮屈になってしまう。
やっぱり、間口をひろげておくことが必要。




開いていればいるほど、自分を育てやすくなる。
自由になる。




今の日本の環境だと、自分が反応できる以上の物事が
すぐ近くに、否応なくあふれかえっている状態。
だからといって必要ない物事を拒否しようと閉じてしまうと、
流れがなくなって、不要なものをいつまでも手放せない状態になってしまうし、
かえって、必要なものに届かなくなるだろう。




子の育ちをみているとわかる。


手を伸ばしたがっているときに、指先のほんのちょっと先に、
手を伸ばしてまでつかもうとしたがるものを置いてみる。
そこに、変化しようとする(行動をおこす)意志がうまれる。
そのとき、心とカラダがつながる。


その結果おきた反応が、あたらしい自分をつくってゆく。
くり返すことで、その反応を自分の心身にしみこませる。
そうして刻みこんだことは、メモしないと忘れるようなことではない。
文字通り、血肉になるのだ。
そして、世界とつながってゆく。
そうすれば、自分をとりまく世界は、ひろがりつづける。