続・カラダの重さの質


かなしみやショックを、味わうことなく、
瞬間凍結することで、その場を乗り越えてしまうと、
時間がたてば経つほど、解凍が大変になる。
それは、カラダのクセになって残る。
こわばりになる。
こわばりも、カラダを重くしてしまう。
そのカラダで “危険” と認識したことを避けるパターンが、
積み重なってゆく。
クセはますます、強力になってゆく。




自分の強力なこわばりは、やっぱり、
10歳のときの、父親の突然死によるところが大きいのではないか。
まだ、死のことなんて深く考えてもいないころに、
あっという間に死んでしまったということ。
そして、強気の母親が…、
淡々と事務的なことをこなしていた母親が、
嫌っていたはずの祖母(母にとっては姑)によりかかるようにして、
火葬場でついに激しく泣き崩れた姿をみた瞬間に、
たくさんのことを一気に悟った経験の大きさ。
それを誰ともわかち合えなかったこと…。


ここに書きながらも、まだまだ、
「そんなことより大変なことなんて世の中にはたくさんある」
なんて、自分の気持ちに迫らないようにしようとしてしまう。
かえって、自分にとっての事の大きさを表している…。


10歳の、瞬間凍結みたいなこわばりは、
思っていた以上に強かったのかもしれない。


自分は、泣かなかった。
あまりに突然すぎた。
救急車で運ばれた病院に2日後に呼ばれ、遺体をみたときには、
もう抜け殻のようにしかみえず何も感じなかった。
ただ、まわりの大人たちが息をのんでみつめているのがわかって、
泣かなくてはいけないような気がして、
なんとか、ぽつっ、と数粒の涙を落としておいた感覚を、
はっきり覚えている。
それだけだ。


10歳だと大人の会話も理解できてしまう。
もともと、眠りの浅い子だった自分は、
自分が寝ていると思われている時間の、大人たちの事務的な会話も、
ぜんぶきいてしまって、意味も感じとっていた。
死の直前や、死のしらせや、その後の葬式まわりの、
ごちゃごちゃとしたような話も、ぜんぶ。


そんな中では、自分にとって “ 絶対 ” だった、
強かったはずの母親が泣き崩れた姿のほうが、
父親の死よりもずっと、リアルだった。


その後も、泣けなかった。
父親の死は、謎のままだった。
謎ですらなかったかもしれない。


そのときにギュ~ッと圧縮したことを、
ほどかなくては。




広大な世界の中での自分を知ること、
そのままの自分を認めること、
その自分で、未知の世界に出て行くこと、
それらが “ コワイ ” から、
何度も同じところを
ウロウロしているのかと思っていたけれど。
それよりも、何よりも。
そこで、止っていることがある。



今年になって、近いところで色々と活動を共にしている人々にもこのブログの存在をお知らせするなりゆきになった。
だからといって書き方は変わらなかったが、会ったときにコメントをいただいたりすることで、
これまでは意識して出さないつもりでいたこんな記事も、意識せずに出す流れになったのかもしれないなあ。
こういう、ごく個人的な体験こそ、他人にも通じる何かが潜んでいたりする、そう思えるようになってきたからだ。
またよろしくどうぞ・・・