ボウズ3歳半の自我とか~さん三十路半ばの自我



おそろしいほどに対応している。


ボウズ、積極性がでてきた。
といっても、あいかわらずの内弁慶と怖がりの慎重派、
まずは、家の中から。


自分でやりたがる意志の強さが
ここのところ、また段違いに変わった。
一度興味をもって、やってみたいと思ったことは、
今すぐにやらないと気がすまない、というふうで、
ちょっとでもそらされると大泣きの抗議。
その大泣き、大騒ぎは、
と~さんがいるときがやっぱり一番。
解放できるのね。


ここもまた、肝心要のとき、という気がする。
自分から世界に働きかけて行く、という意志のはじまりだ。
・・・たぶん、そんな感じ。
「自分が何をしたいか」という感覚、今それが、一番大切みたい。
ためていたものが出ているという気もする。
じっとみて、実はよ~く考えていたのかな、と。
セリフがまた、いっちょまえなのだ。
適当な理屈でその場しのぎなんて、もう全然できなくなったよ。
そういうことには敏感で、たちまち言い返される。


頭ごなしに自分都合で押さえようとしたり、
ボウズにやるな、と言ったことを自分だけやる、というような矛盾は、
今はとくに、許されないだろうな。
それをやったら、3年半のつきあいで、
もう見放されちゃいそうだよ。
これからの関係にもぜったいに、響いてくる。



そのボウズの様子から自分をまた振り返り、
いま考えていること、ふりかかっていること、
気になっていることを見つめ直してみると、
すべて、「自分は何ができるのか」というテーマにまとまる感じ。
バラバラのピースみたいな、これまでの経験が、
このとき、この場所での自分の役割につながっている。
ここからは、「自分が何をしたいか」ではなくて・・・
そのままの自分で、自分だけの経験を、
この世界の中のひとつのピースとして表現していくとき?


ボウズの様子も、か~さんの考えていることも、
どちらも、視点が違うだけの、自我の問題だと気づいた。


そう自覚できると、身の回りで起こっていることのすべてを、
どんなに小さなことも、気づきへのサインと受けとめることができる。
ありがたい励ましに囲まれていることを、もっと感じたい。
どれもこれも、自分ができることにつながる足場の、プレゼントなんだ。


観念を、リリースせよ!
今できることだけに、心をこめて向かえ!