ダメにしちゃった鉢植えにムダ使いを想う



数日前にも書いたが、久しぶりに食べ物をダメにした。
雨続きもあって、結局、ベランダの植物を枯らした。


これは手に負えなさそう、と感じながら
すぐにどうにかせず、抱えつづけているのは
エネルギーのムダ使いだなぁ、とつくづく。


元気なうちに、ちゃんと食べてもらえるところにまわっていれば。
もっとグングン育つことができる環境に移ったならば。
誰かのさらなる元気につながったのに。
そして、ダメになりそうと気になりながら過ごす
後ろ向きのエネルギーに、
自分の前向きのエネルギーも少しはひっぱられたはず。


足元のそういうムダづかいすら手に負えずに、
この先だとか、環境だとか、日本だとか、世界だとか、地球だとか、
そっちをみたって誰の力にもならないよねぇ。


自分で体験したことから気づきを得て、
それを日々の生活でくり返し、一段納得してから
表現したりして昇華し、また次にむかう。
そういうふうにしていれば、うわつかずにいられる。
余計な心配にふりまわされずにすむ。
自分の体験とかけ離れたことや、
日常に結びつけられない技術や知識を詰め込んでも、
かえって不安になるだけ。


自分から興味を持って手をのばしたこと以外に
義務感にかられたり、まわりにあわせて詰め込んだことは
すぐにはがれてしまう。
あんまり戻りたくない、10代~20代を振り返る日々より。