決める



心で感じて、カラダの反応という働きがあって。
ただそのままに任せるのではなく、
意志で決める、ということ。


それを意識してやっていくうちに
心とカラダ、脳でのつながりがよくなって、
自分がわかってくる。


ものすごく小さなことを覚えている
幼子の記憶力の良さに驚く。
それは、カラダへの取り入れ方に偏見がなく、
さきに脳で処理したフィルターをかけずに
感覚そのままが残っているからなんだろうな、と思ったんだ。
同じ感覚が、目や鼻や皮膚を通して伝わったとたん、
それを思いだすんだ、きっと。


テレパシーのように、
か~さんが考えていることに通じる事を
急に話しだしたりすることもあるが、
それも同じようなことなのかもしれない。
それは、誰にでもできることなのだろうな、って。


体験せずに知識として入れたこと、
それが先にきてしまうと、
余計なフィルターになってしまう。
まず自分だけの感覚があって、それを味わうということ…。
知識はせいぜい、整理整頓のときのラベルのように、
コニュニケーションに役立つもの、
脳での処理を助けるものという役割に
とどめておきたいものだ。


自分だけの感覚が鈍っているように感じたら、
意識しながら、動くことかな。
行動することも、出力することだ。
紙に書いたり声に出して話をしたりすることだけでも、
ほぐれてくるものね。


自分で決めることができれば
自分で立っていられる。
今ここ、に落ち着けるのだ。