あ~ビックリ、何が違うって、自己肯定度!?



20年来、いや、それ以上の悪友との久々の集いにて
やっぱり、この先の人生に結構な影響をもたらしそうな
出来事が起こったよ。
自分の変化にもビックリしながら、
しみじみ振り返る帰り道だった。


着実に自分を磨いて、学生時代から
どんどんステップアップ、
国際的に活躍する主役の彼女の
その後の友人達をみていて思った。


類友、には違いなくて、
そのステップが上の人々は、
いちばんボトムの我々チームとも
根のタイプは変わりない匂いが…。
だから、主役をとおせば、意気投合したような
すごくいい雰囲気ができあがって。
彼女の人柄もあって、
誰もが素で楽しめる良い場になった。


で、そんなに気が合いそうな面々、
いま向っていることの違いが出てくるのはナゼか、と
観察していたら、それは、
自分を低く見積もっていないかどうか、
それだけの違いだ、と思ったんだ。


たとえば、社会的に少数派に属しそうな感じだったとしても、
それをなんとも思わず、卑屈になったり、逆に誇張したりもせず、
そのままの自分で堂々といられるかどうか……
それは、自己肯定感があるかどうかにつきる。


そして自己肯定感を持てるかどうか、というのは、
そういう自分が認めてもらえる場があったかどうか、
根っこがしっかりしているかどうかにつきる!
大人ならそこは、自ら太くしていくことだ。


息子にとって自分はどうあったらいいか、
そして、そのためには自分自身がどう生きるか、
ごまかせないときがきているよなぁ、とも思ったよ。


しばらくぶりに会った、
10代初めの頃からの自分を知る危篤な友人達からすると、
産後の自分は、自分を取り戻しているようだ、との
鋭いコメントをもらった。
少なくとも、社会に出て、いつも結構
ヨレヨレとくたびれたり、悩んだりしていた頃よりは
良い状態にみえるらしい。
カラダがそうなっているんだから、
自分にとって良いことは何か、
あれこれ、ややこしく考えなくても
答えはでているのだ。


ま、その上で、取りようによってはちょっと辛辣な、
ある意味、図星のコメントもいただいだんだけど!
それは、そういうことを長年のつきあいの、
同性同齢の友人から言ってもらえる、
今はそんな状態でもあるとも言えるもんね。


ありがたい一日だったな。
つなげたい。
…で、なくて、
つなげよう、だね。