思いグセと言葉



しばらく続いていた自分の中の「感じる」シリーズ、
春を前にひとつ落ちがついていたんだけど。


また友人のほんのひとことで、ちょっとハッとして。
思いグセというのは、ほとんど言葉の呪いかもしれない。
誰でもない、自分の言葉のね!


他の人に何か言われた、だとか、
どこかで読んだ、という言葉が
強く響いているとしても、
それを繰り返し念じているのは
自分なんだよな、って。


自分の中に取り入れてしまっているのは、自分なのだ。
自分の言葉の呪いは大きい。


言葉の呪いにかかると、
「感じる」ことから遠ざかってしまう。
呪いのバリアがかかっちゃうんだ。


自分でかけた呪いをとけるのは
自分だけなんだけど、
バリアを破るきっかけは
外から何かの刺激の形でもらわないと
ダメなのかも。
自分以外の何かとの交わりがないとね。


人との交わりを持つ・・・
会って、その人の全体を感じながら、
言葉も使って交流するということは、
タイミングも大切だ。
たとえ話したいことの1割しか交わせなかったとしても、
「今だ!」という波には、なるべく乗りたい。