2歳を前にして



地区センターの遊び場だとか
親子の広場のようなところで
ボウズがよく遊べるようになってきたのは
自分が変わったからかもしれない。


少しばかり、余裕ができてきたのだ、たぶん。
いったりきたり、波の繰り返す育児道で
まだまだ、すっかり楽しみきれていないところもあるけれど、
だいぶん肩の力が抜けてきたように思う。


“ 網羅しようとしてしまう ”
それが自分の悩みの根っこにあるなと
最近、やっと気がついた。
すべての根っこにそれがあったんだ、と。




気ままな若い1人暮らし、2人暮らしとは違って
最低限、やらねば生活がまわらないという部分が
自分以外の人間にもすぐさま影響する育児道。
しかも、まだ自分の世話ができない
ピカピカした小さな人に、、、


次にやることが頭の中から離れず焦り気味に行動したり
段取りを考えてばかりで緊張していたのは、、、
シンプルにできなかったからだ。
緊張していることにも気がついていなかった。
気づかなければ、まわりに助けも求められない。


妊娠してから、どんどん変化するカラダに触発され
もう頭でっかちになるのはイヤだ、
カラダごとで感じたいし楽しみたい、
もともとそっちのほうがずっと好きだった、と
色々な体験を通して自分を解放しようとしてきた。


妊娠中は、細かいことはさておき楽しんじゃえ、
という波に、だいたい乗ることができていたように思う。
引越しにまつわることだとか、心配ごともあったし
相方とスレ違うこともあったけどね。


それで、育児書とかはなるべく前もって読まない、
産まれたら産まれたで・・・なんて調子だったから
お産は最高に楽しい経験だったんだ。


でも、育児はそうはいかなかった。
赤子に関する知識も、当世育児事情に関する知識も、
赤子や乳幼児の育児中の母親と接する機会も、
あまりに少なすぎた。
やっぱりいるのだ、知識もそれなりに、前もって。


自分で納得しないと動けないのに
イチイチ全部、すみからすみまで調べようとしていたら
時間はいくらあったって足りない。
調べたり決めたりすることに時間が足りない、
今にして思えば、それが初期のイライラの
原因だった気がする。
自分が動けないところを
自分のようにやってもらいたくて
すぐ側にいる相方にも求めすぎていたんだ。


心配性かと思いきや、自分ひとりなら、
いきなり体当たりも結構やってしまうタイプ。
それで根っこがしっかりしていないと危ないんだ。
フラフラしちゃう。まわりからの引力で。
そういう目にたくさんあってきて反省して
イロイロと清算しつつ妊娠出産にのぞんだ自分は
育児でやっぱり、その宿題に向き合っている。


さすがに2歳を前にした今になってくると
“ さておく ” ことが否応なしに身についてきて
決断も、行動も早くなってきた気がするんだ。
それに伴って緊張も緩和してきているな、と気づいた。
子供は、思っていたよりずっと賢くしなやかで
ちょっとやそっとじゃ死なない。
変化がはやくて、なにか間違ったとしても
それでおしまいじゃないとわかってきた。
これは、知識や頭の中だけでなく、
ほんとうに文字どおり、カラダごとで感じること。
そのことにこっちが勇気づけられるし、
肝もすわるよう鍛えられていると思う。
それは、毎日接する時間の多いか~ちゃんの特権かな。


楽しんだもの勝ち!
なにかに陥りそうなときに
いつからか呪文のようにイメージしているけれど
育児なんか、もう、まさに、そう。
そして楽しむには知恵がいるんだ~。
自分は、鍛えられているな~どう工夫するかな、と思うと、
気づきながら、感じながら楽しめる。
最近は、もっと楽しむために、
分かち合う機会を増やしたいと思うようになった。
それも、余裕がでてきた、ということなんだろうな。


遊び方だって・・・
自分が楽しくないことは、子も楽しくないのだ。
子が夢中になれることは、大人だっておもしろいのだ。
子供だましなんて、ほんとうに通用しない。
通用するようにみえるのは、子が合わせてくれているからなのだ。


あと2ヶ月もすれば2歳になっちゃうんだって!
1歳からは早かったな。
ますます、楽しまねば~~。