“ 気 ” の持ちよう



ささいなことかもしれないけれど
産後の人生にじんわり響いた出会いがあった。
こみあげてくるものがあって脱力。
帰り道、微熱を感じるぐらいなにかが出ていった。




思い出、になればまだいいが
下手な思いは重いだけ。
とっとと手放して今を生きたい。
知らず知らず積もった思いは
まとわりついて重荷に、それが痛みに変わることも。
そうなると、手放すのに
ちょっと人手やイベントが必要になってくる。


きのうの満月の行動から
夕方 “ 555 ” のゾロ目をみて
今日、出かけるまで
どうしても『そこ』に出かける流れだった。


偶然でも良いんだ。
賢ぶったって、あまり良いことはない。
ラッキー、と乗っかってしまえばいい。




愛が欲しかったら、
自分のまわりを愛で満たしていけばいい。
あふれるほどこぼれたら、
いやでも愛の波にのって流れるってモンだ。


“ 自己中心 ” とは嫌なイメージだけれど
自分をとりまく世界は
自分を中心にしてできているではないか。


良いイメージで自分のまわりをあふれさせるには
自己中心からはじめればいい。
そのうち勝手にあふれて
まわりの人のところまで流れて行くんだから。
中心が黒かったら、、、
まわりをいくら白で覆っても
真っ白に光ってはみえないのサ。



出会いのイメージのメモ、
自分のためだけに。