なるべく手をかけない



どろんこ遊びに行きたかったのに梅雨入り、
ひさしぶりに屋内の親子の遊び場へ。


しばらく間があいたから
子がまた、か~ちゃんの側から離れない。
ヒトに興味を示しても、
はじめて人見知りをしたころのように
手だけだして顔はか~ちゃんに向けたり、
てれているような仕草をしたり。


少し慣れたらひとりでオモチャや棚に向っていったけれど
どうしてもはじっこ寄りに落ちついちゃう。
1メートルぐらいしか離れない・・・


エヘエヘ笑いながら走りまわる子や、
まだハイハイもしないけれどうつぶせで果敢に動こうとする子もいる。
我が家のボウズは、もっとも場にとけ込まないタイプだ。
慎重派というか、なんというか・・・



どこまでが産まれ持った性分で、どこからが育ちなんだろう。
1歳でも、もう、こちらが植えつけてしまったものがあるな、と
さいきん思うことがある。


とりかえしのつかないことなど、ない、
人は思っているよりもずっとしなやかなんだ、
自分だってまだ・・・
とも思うけれども。


とくに自分で歩けないうちは、
まわりの人から受けとる影響は
ものすごく大きいという気もしている。
ずっと側にいる母親の、家族の、住む家の空気が
どうしても子を方向づけてしまうだろう。


まわりで接するイロイロな個性の赤子をみていると
その子の住む家、両親の性格、じいじばあばも側にいるか・・・
そんな背景が浮かんでくることも多い。


そんなことを考えすぎたら育児なんてできないが、
なるべく子の人生にへんな影響を与えないように、
自分で選べるようになるまで
そっと手伝うように、
いい(よい)加減で手をそえられたなら・・・と。


子だけでなく。
自分をとりまくものや
自分自身とのかかわりかたも
そのようだといい。
植物のようだといいなあ。


思い、は、重い。
もっと身軽になりたい。
10 代のころから、尊敬する人は身軽な人だった。
風景にとけこむように・・・



今日のは、ちょっと子の泣きかたに辟易してしまった反省文。
自分が肉体的な疲れのでてくる夕方、
子も眠くなってきたり、
朝から受けたイロイロなものの影響の重みで
いっぱいなのかもしれない。


自分に余裕がないと、
人にやさしくなれないよなあ。
たとえ、自分の子であっても。
余裕、というより、あそび・・・のきもちというか。


そうか、、、それには、笑いだな!


そろそろまた、落語もいいゾ、きっと。
子を持ってから接していない。
あたらしい発見がありそうだあ。


あはははっ、と。
笑いは、邪気払いだ。
全身の緊張がとけるもんね。
重りをとばせる。


そうか、そうか。
書いてみてヨカッタ。
すっきりした~。