サイン解読、修行の日々



『寝ぐずり泣き』だ、これは、と
はっきりしっかり受けとめて余裕で対応できたのは
今日がはじめてカモ。


はじめの一ヶ月、
ぐにゃぐにゃクネクネする、泣く声もか細い
表情の少ない赤子に乳を与えつづけ、
与えたらすぐに流れる排泄物の処理をし、
自分のカラダもまだ思うようにならないから
ほとんど横になって暮らし・・・


どんなに余裕を持って対処してるつもりでも、
つとめて平常心でいようとしても、
ふと何やってるのかよくわからなくなる時期。


ほっとひと息ついて寝顔を眺めたりすると
もちろん、愛がこみ上げてくるのだけど、
『魚かなにかにひたすらエサを与えてるみたい』
てな感じになることも一度や二度ではなかったり。


乳をやりはじめの頃は、
(これもホルモンの影響なのかも知れないが)
『よかった、かわいい! 赤ちゃんかわいい!(一般的にではなく、自分にとって)』
とこみ上げてくることもしばしば、
ほっとするけども。


その後数週間はひたすら修行、ほとんど苦行。
いろいろと仕草を観察したり、
“ お、でっかくなった ” “ 昨日より自分に似てる ”
などと楽しんでみても、ネタが少ないもんだ。


その苦行をやっと抜けたという気が、
一ヶ月を過ぎたあたりでやってくる。
誰もにそういわれるけれど、ほんとう!


妊娠・出産に関することって、
事前に聞いてもピンとこないけれど、
そのときが来たら「ああ、これか」と確実につかめる、
そういうことが多いな。


自分は、出産前の心配事は、
ギリギリで引越して物品と環境の準備が慌ただしかったことぐらい。
カラダの準備をして心には余裕を持って出産を迎えた。
出産に関しても、後悔するようなことはほとんどなく、
入院生活はナカナカ、思い出ぶかい良いときだった。
実母と気が合わなくてちょっと辟易することがあったぐらいだ。


それでも、それでも!
ぐにゃぐにゃの、ちょっと違う世界からやってきた、
自分の意思で動けない命あるものをお守りして育む、というのは
緊張ととまどいと忍耐の嵐、すこしの幸せ、という感じだった。
おもしろいには違いなかったケド。


3週間すぎたあたりからか? ヒトらしい反応がくるようになって、
どんどん、ごきげんな時間が長くなってきて、
泣き声にも表情がついてきて・・・
慌てず、ひと呼吸おいてそれに対処してあげられるようになる、
誰だって、そうなるんだなあ。。。


赤子との関係も大人同士の関係と同じ。
ちょっと反応間違っちゃったりしても、
そう簡単には壊れない。


他人の言う事をきくより、本を読むより、
「ん? こうかな?」と、えいっとやってみて、
「あれ違った、ゴメン!」を繰り返して、
だんだん、近づいていくのね、お互い。


自分のキャパや、対応力、長所欠点は丸ハダカ、という感じ。
これまでの人生で乗り越えられてなかったハードルは
形を変えてあらわれるし、
赤子の反応に自分の未熟さがありありとみえてしまうし、
まわりとの関係も、問題があるのに放置していた部分なんかが
ボロボロこぼれてきちゃう。


まるで人生修行、それが育児の醍醐味かも。