人の理論に惹かれても


それは、その人の情熱に
惹かれているようなものである。
理論は理論で
その人が
自分を納得させるために
こしらえたものである。
他人に説明するようでいて、
自分を納得させている。
その両方がうまく社会とかみ合ったとき
それは評価され、支持される。


いくらそれが
本質を、世界の成り立ちを、
言語化しているように感じたとしても、
それ自体が本質なのではないのだ。


自分が本当に惹かれているのは
なんなのか。


その人が熱心にそれに取り組み
なにがしかの形にしたという
生き様がすばらしかったとしても
あなたがやることは
それをなぞることではない。


あなたには
あなたのやることが、
いや、
やっていることが、
やってきたことが、
必ずある。