意識の切りかわり


7歳で学校
小学校6年
中学校3年

この区切り、
なかなか
それなりな節目だな、と感じる。


な〜ぁんて言い方すると、
上から目線のようだけど・・・


7とか
3・3・3とか、
昔話にもよく見つかる
おなじみの区切り、
関連づけてみると
何度も改めて
うなづけるものがある


もちろん、
それだけではない
連続したものだとか
別の節目だとかは
絡んでいるのだけれども!


今、ある程度完成された
日本のような国の仕組みの中で
人が生き抜いていくとしたら・・・

そんな視点との兼合い、という
色眼鏡からみていることには
違いないのだけれども!



すくなくとも、
そんな風にみていくと
わたしは面白いし
節目があるからこそ
一方向ではない
時間の流れや
生きものの成り立ちに
想いがおよぶ。


木の節目を観察すると
それぞれの節ひとつ経過する間に
気候がどんな風であったとか、
まわりの木と
どんな風に絡んでいたとか、
ある程度、想像できることがある。



植物をみていると
長い目の意識に
誘われるから
人の育ちを
ゆったりとした気持ちで
ながめることができるんだ。




ケガを、つくって帰ってきた。
何年も続けている活動で、初。
しかも2日連続で。


慌てていない様子とか
こちらも全く動じないこととか、
ケガの場所だとか、
ケガの仕方だとか、
いろいろ色々に想い浮かぶことはあれど、
そういことは
下手に考えすぎると
余計な判断、決めつけ、
つまり思い込みに
つながりがちで。


子どもの幼少期には
ついつい
あれこれと
そういうことを
考えがちだったが、
歳のせいか(!?)

 ・・・
 いや、うん、
 色々な角度から、
 歳の功、というのは、
 あるでしょうネ!

ここまでくると、
そういう想いすら
ちらりとかすめて
ただただ
流れていく
ばかりで。


彼がひとこと、
『精神状態が悪かったからかな!』
といったことが
キラリと光って
眩しかった。


そういうことも、
掘り下げると
余計な思い込みを
彼にもつくってしまうが
サラリと流せるなら
それは面白いんだ。


誰かとか、マンガとか、
テレビとかの
マネをして、
ただオウムのように
言ってみただけではない
その言葉が

 オウムのことだって
 本当はよく知らないのに
 そんな言い方をして
 失礼のようだけれど、
 まあ、
 思考がつながる
 きっかけとしてネ★

そう、その
キラリと光る感じが、


もっか、
グングン、色々
伸ばしてるところです!
という気をはなっていて。


思考回路が、
そんな風に
体験を通して
形成されてゆくのだな、
という
仕組みの妙を
かもし出しているようで



いえ、ただ・・・
ただただ、
ただネ。


生きている人間の
変わってゆく様というのは
ほんとうに
何よりも面白いことだと、
ただ、それだけなんですけどもネ。


それがあるから
まだ生きようと思える。


というようなものなのです。