豆、のことから。



節分だが、豆といっても
コーヒー豆のことである。


今朝、やっと、
コーヒー豆くんと
お話できた。


昨年、友人が突然、
家庭用の焙煎セットを
送りつけてきたので試し、
ちょっとだけ、
豆ゴコロに近づいた。



コーヒーの、淹れ方。
ノウハウは色々あって。
道具もいろいろある。
豆の産地から煎り方から、
もう、こだわりどころ満載。


わたしは、
どんな分野においても、
そういうことには
全く興味がない。


いや、全くではないが、
本質的には、
そんなことは
どうでもいい。


目の前にある、
ご縁があって出会った豆と、
どう対するか。


わたしが興味があるのは
そこだけだ。
そこから、
産地だとかに
関心が向くことは
もちろんあるのだが。



ひきたての豆は、
いやつまり、
ひいた後は粉状だが、
ふっくら、空気を
含んでいる。


そっとお湯を注ぐと、
ぷわ~~っと、
もりあがってくる。


適量注いでやめ、みていると、
勝手にドームのように
ぷくぷく膨らむんだ。


いい感じに
ドーム状になったところで、
その続きのお湯を注ぐ。


ドームになっているから、
ぐるぐる回してかけたりは、
しなくていいんだ。


ドームをやたらにつぶさないよう、
けれど、勢いもつぶさないよう、
リズムを感じながら、
お湯を注ぐ。


だいたい、
もういいよ~~ってところで
お湯を注ぐ手が止まる。


それは、
いつも同じではないんだ。


このぐらいの粉の量なら、
お湯はこのぐらい、
だなんて、
いっしょくたには
決められない。


その日の自分の体調や気分でも、
飲みたい濃さや感じは、
変わってくるのだから。


自分のことも、
コーヒー豆粉のことも、
注目しながら
すすめるといいんだ。


そして、お湯に、
その気持ちをのせる。



ノウハウなんか
いくら聞いたって、
ただその通りに
機械的に繰り返すだけじゃあ、
そんなことは
わかりゃしない。


そこが、面白い。


粉になって売っているものだと、
ふくらまないから
面白さ半減。


そして煎りたてだと、
さらに感じが違うし、
どのぐらい煎るか、ってところでも、
感じることが色々ある。


そういう、交流があって、
味わいが深まる。



わたしが好きなのは、その、
交流で味わいを深める、
そんなような過程なんだ。


そしてそれは
むやみやたらに
教えるつもりはない。


だって、教えたら、
ソレにならないからだ。


けれど、その面白さは、
実は、いつでもとっても、
伝えたいんだ。


なぜか?


それは、、、


それには、
理由なんか、
ないんだ。