血が繋がっていなくとも


お給料が月に5万円あるかないかの頃から、
水道が引かれていたりいなかったりする頃から、
電車は通っていなかった頃からのお話を、
ぽつっと思いがけず受けとった。

どのようにひきついで、
どのように手渡していこうとしているか、
というお話。


実の子は、いらないんだって。

そういう時代。

親のものを引き継ぐとは限らない。


必要な人が、ご縁で受けとって
また違う形で引きついでゆく、
それでもいいが


本当なら、物語も、受けとりたい。
自分の前の物語も。


ずっと、知りたいと願っていた。
自分より前の代、もっと前の代からの
自分の血を引く人々の物語を。


若い頃には、そんなことには
想いが及ばなかった。


そして、話が聞きたくなった頃には
もう聞ける人がいなくなってしまっていた。


けれど、また別の話を
受けとるということもあるんだね。
それでいいんだな、と納得した。


まだ、引き継げるのかどうか
ぜんぜんわからないけれど、
お話が聞けてよかった。

物語が人をつなぐ。
物語は、本質をのせて
人々にひきつがれてゆく。


そんなふうに
何かを受けとってきた。
たくさんの人から
受けとってきた。


引きついで受け渡すものを
形づくる時に入っている。

心構えの土壌は
ここ何年かきっと、
たくさん耕してきた。

どのように耕してきたか。

それに見合った種が
ふらっと寄ってきたのかもしれない。