ひとりの自由、つながった自由



ひとりだから自由?
なのは、
どんなときかな。

その自由には、
束縛が隠れている。
束縛から逃れることを
自由とするならば
いつも束縛の存在を
感じているということだ。


何に束縛を感じているか、
ということを
あきらかにするならば

そしてそのなかにある
恐れの存在に
気がついたならば


つながった自由のなかに
泳いでいける。


これは
自分で立とうとするときの
通過儀礼のようなもの。


こういうときに
ひとりになることが
必要なのかもしれない。


逃げるのではなく
自分で
確かめるために。