忘れる、という健全さ



置いてくように。


そこでいただいたものは
咀嚼して消化して
自分を通した違うカタチにして
違う気をまとわせて

あとは煮るなり焼くなり
どうぞお好きなように

とまた
そっと残して


そしてまた
歩いていく。


いただいたものと反応した
わたしの肉体は
いただく前とは
もう違っている
まとう気も
変わっている


そうなってから
また同じものをいただいたとしても
もう、さっきとは
その現象は
全く同じということはない


だから
さっきの感覚は
そのまま丸ごと思い出す、
ということはない


ということは
それはもう
必要ないのであって。


そこにいました、
置き石していくにしろ

わずかな気配すらはらうように
何も残さないように
抜けていくにしろ


荷物は抱えずに
次へ行く。

それは
中身のたしかさを
つかまないと
なかなか
できないことで。


そこが
無意識に置いていく
子どもとは違う
大人の腕の見せ所か。


中身ってナニ?
ということは
知らなくてもいい。

わからなくていいから

中身はある、
という
ツカミ、
そこを押さえて

いただきものは
あらたに託しながら
次へゆく。