いちごは・・・苺、も


『育む』ブログに移転する、といって
ちょっとだけ書いてやっぱりやめた
3つの記事の記録をコチラに移動しておきます。
この日から3つ。~ 2018.3.1吹雪 ~

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買うものじゃなくなった。

 

2シーズン前のひと株、昨シーズンのふた株が、厚い雪に覆われる冬を越えて、実りのときを迎えている。

 

口に含むと、ぱあっと、目が…全身が覚めるような粒の輝き。

とても強いので、数粒で満足する。

その数粒~十数粒の収穫が1週間ほどは続いて、間もなく、今シーズンはおしまいかな。

 

雪がとけてあらわれる木の芽や草の芽の生命力には、毎年、ハッとさせられるんだ。

この苺の株も、そうだった。

 

今年は実がたくさんつくといいな~という想いで、ワラをしいてあげるだけはやって、肥料も薬は何も入れずに、様子をみてワクワクしていた。

花がたくさんつきはじめてからは、動物たちにバレないようにそっとネットをかけて見守った。

 

 

そうして、まんまと、次から次に真っ赤な実があらわれたんだ。

 

 

あとで、最後の少しは、動物たちにもわけてあげようかな。

もう、来シーズンまで待てるぐらい、たっぷり味わったものね。

 

 

 

そんなとき、タイムリーに、酪農の記事を目にした。

牛が産まれても、2年は搾乳できないというところがふと目にとまった。

これまでにも入ってきた知識ではあったかもしれないが、このタイミングだっったから、すっ、と深く入ってきた。

 

 

はじめの2年は、育てるだけなのだ。

待つだけなのだ。

 

 

 

今年、同じ庭でも、梅の実は、あまり実っていない。

 

 

はじめてのシーズン、梅の木があったことがとてもうれしくて眺めていたけれど、実はあまりつかなかった。

少し枝を切るなど手をいれて、次のシーズンは、梅ジュースや梅干しがつくれるぐらい実がついたらいいな~と、様子をみていたら、梅ジュースをたっぷりつくることになった。お客様にも、いろいろに味わっていただけた。

実がなる時期がとても遅かったので、タイミングが計れずに、梅干しはつくれなかったけれど。

 

 

今シーズンは、枝は昨年夏以降に伸び放題のままだったし、実りが良かったから、当然今年もなるものだろうと、あまり意識を向けていなかった。

雪どけが遅く、いったん暖かくなったあとに気温の低い時期が続いたり、そのあと、雨がぜんぜん降らない時期があったりと、気候の条件が厳しかったという要素もある。

 

 

そういえば、はじめての秋にはみつけられなかった山ブドウや栗、2回目の秋に、おすそわけのように、ひとつかみ、もらったっけな。

 

 

自分の想い、自然界の流れ・・・

そこにあるものたちの間の交流・・・

さまざまな要素が織りなすところに、実りはある。

 

 

それを味わう豊かさを体験するということ。

そこからひろがることを、いちごから、また教えてもらった。

いちごからも。

またしても。