みたいものをみている



他人は鏡・・・とは、
いろいろな意味で、いろいろなところで
目にし、耳にする言葉。


相方を相手に、
その言葉を思いだす瞬間があって。




意識して、奥のほうにある、
もっとも美しい部分をみるように対すると、
自然と、自分の表情も、声も、やわらかいものになった。




相手を変えようとするような見方は、
けっこう、細かいところで、無意識にやっているもの。
変えようとなんて思っていなくたって、
たとえば、話をききながら、
「それは○○のほうがいいのに」だとか、
「わたしはそうは思わない」という感じに集中しちゃうと、
“ ただ ” きく、ということが、できなくなっているのね。
それは、相手に対して、なにかしら、
自分の思いを押しつける波動を発していることになると思う。
そのことが、はっきり実感できたよ。


自分のそういう思いにとらわれると、
必ず、からだのどこかに強ばりが生じている。
そういう表情と、声になる。


意識して「言い返そう」なんて思っているときがあったら、
そのときの自分がどうなっているか振り返ると、わかりやすい。




自分は、自分がみたいように、世界をみている。
そういうカラダになっている。
それはどういうことか、
身近な人への態度を意識することで、
よ~~くわかったよ。




うつくしいものをみるように・・・
希望を感じるように・・・