あたらしい泣き方だ

くやし泣きは、あったけど。
あった、と思っていたけれど。
さいきんのは、またどうも、
レベルがちょっと違うような・・・



自分の行動が、
自分の意図したことと違う意味にとられた、
ということに、
キッパリ抗議したり、
泣いてくやしがったりする。


意味が、けっこう、重要になってきた。
こまかい意図が。


もっと赤ちゃんのときでも、
かんしゃく気味なグズりとか、
なんだかわからないタイミングの泣きに、
そういうタイプのものがあったんだとは思うけれども。


なにか違う。



親子の集いの場がお開きのあと、
2歳の女の子が遊んでいて、泣き出した。
360度ぐるん、とまわるイスに座って、
べつの2歳の女の子が、背をもってまわしていたんだ。


泣き声で急にふりかえった、
その子のお母さんもふくめた大人たちは、
みんな、降りたいんだろう、と思った。


ところが、降ろそうとすると、
また、わあ~~っと泣いたんだ。


ちょっと離れてみていたから、
それがなぜかすぐわかったんだよね。
まだ乗っていたいのだ。
でも、まわす速度が、ちょっと速すぎた。
もう少し、ゆったり、好きな速さでまわりたかったんだ。


「おりないの? どうしたいの?」
大人同士で会話しながらだったから、
ちょっと強めの口調でその子のお母さんが言うと、
どんどん泣きが強くなる。


「まだ乗りたいんだよね?
 でもちょっとこわかった? 気持ち悪かったかな。
 速かった?
 もうすこしゆっくりまわりたいの?」


声をかけてみると、ぱあっと泣き顔がやんだ。
はっ、として、そう、それそれ、という顔に。
顔をあげ、どんどん目がひらいてきて、
「ゆっくりがいいの」と自分で言えた。



こういうスレ違いみたいなことが、
育児の日常では、けっこう、しょっちゅう起こっているな、と
すご~く、はっきり、わかった出来事だったんだ。
とくに、2歳ぐらいまでの、まだ表現力がおぼつかない頃には。



で、さいきんのボウズだと、
そういうふうには泣かないのだ。
もっと、ジト目で、じわっと泣いたりするのだ。
違うもん、って感じか。


言葉で「そうじゃない!」と言うときもあるけれど、
言われのない批難を受けた、みたいな感じのときなんかは、
思いが余って、涙が先にくるのね。



この、微妙な違いに、意志の育ちっぷりだとか、
もっているものが開いてきている感じだとか、
言葉では表しきれない、内なる成長が浮いてきていると思ったよ。
これまた、見逃せないね~。