なぜそこまでして…にひそむカギ



何度も巡ってきてしまうような状況こそ、
自分そのものなのかもしれない。


「なぜそこまでしてそれを?」と
他人がみたら思うような、
「そんなことしなくても」と指摘されるようなことに、
なぜかどうしても向かってしまうならば。


いやいやではなく、流れついてしまうならば。


それを乗り越えたところに、
自分の道が待っているのかもしれない。


「なんで?」という周囲に、
言い訳するようにではなく、
こじつけの説明をつけようとせず、
ただ、それに向かう、自分の中にあるものを、
静かにみつめてみるといいね。


「なんで?」とは決して言わない、
聴く耳を持った人をみつけられると、
ずっと、いいね。


生身の人間でなくても、いいんだけどね。
そういう方法には、
少なくとも今の日本人は、
慣れていないよなぁ、と思ったり・・・
なんでも、いいのになぁ、と思ったり。


「証明」することにエネルギーを注いで、
くたびれないように…


反射的に動かずに、そういうところで、
忍耐力を発揮できると、いいんだ。
身を固くすることとは反対の方法を。