たのしいことから、ボウズのもがきをみる



ボウズにとってのたのしいことと、
か~さんにとってのたのしいことは、
いまは、混ざっているんだ。


ボウズは、か~さんに共鳴して、
か~さんがたのしくなっている感じが
わかっている。
そのことを、「たのしいこと」と
認識している。
言葉の意味がわからなくても、
そのときに「たのしいねぇ、うれしいね」
なんていうことを話していれば、
その場の感じと言葉はつながって
記憶に残っているんだ。



ボウズはこの夏、
その共鳴力と、自分の表現とのはざまで
もがいていたんだなぁ、きっと。
今もまだそうだけれど。
そして、テーマやレベルは変わっても、
成長過程で、何度も訪れることだと思うけれど。



ボウズは、たのしいことがすきだ。
・・・あたりまえか。
ん? あたりまえなのか???
・・・ともかく、たのしいことが、必要なんだ。


か~さんも、こころから「たのしい~」と、
そう、「こころおどる」ようなときを持つことが、
なによりも必要だ。
特別なイベントをつくるということでなく、
日常、そんな気持ちでいることが。



おたがいの「たのしい」に
もっと、こころをよせていこう。
ボウズの「こころおどる」状態は、
もっと、注意深く観察しようっと。